本記事では、YouTubeにアップした柳高志さんと金子隆也の対談「ヨーヨーコレクター柳高志氏のヨーヨー歴史」を、文章にまとめて掲載します!
今回は、世界屈指のヨーヨーコレクターである柳さんが、ヨーヨーを始めたきっかけや、当時のイベントの話について話を伺いました。
コカコーラヨーヨーブームのときに各地で開催されていたキャラバン。そこに登場する赤いブレザーを着たヨーヨーチャンピオンの話やキャラバンでの裏話など、80年代当時のヨーヨー秘話が満載です!
ぜひ、ご覧ください!
1971年生まれ。8歳から始めたヨーヨーは40年以上のキャリアを誇る。世界屈指のヨーヨーコレクターであり、コレクションは2万点を超える。2005年には、復刻版コカコーラヨーヨーの監修を務めた。現在はヨーヨー教室の開催を通て、普及活動も行っている。
はじめに
金子隆也(以下、金子) 今日は、柳高志さんをゲストに話を進めて行きたいと思います。では柳さん、よろしくお願いします。
柳高志(以下、柳) 柳高志と申します。1971年生まれの48歳です。ヨーヨーに初めて出会ったのが小学校2年生の8歳なので、足掛け40年のヨーヨーキャリアになります。主に、ヨーヨーのコレクションを中心にやっているので、珍しいヨーヨー、大体2000年から前のヨーヨー、古いものは江戸時代からのヨーヨーを集めています。
今、ヨーヨーは主に小学校で教えたりとか、老人福祉施設に入ったりとかでヨーヨー教室をやったりとか、地味ながらヨーヨーの普及に励んでいます。
金子 「ヨーヨー名人への道」と言う本があったじゃないですか。あそこのところで、コカコーラのヨーヨーを紹介されているのが柳さんのコレクションですよね?
柳 そうですね。
金子 あとは、2005年と2006年のヨーヨーの復刻の時の小さい本、冊子の本、セブンイレブンのキャンペーンの時の冊子のところにアドバイスされているのが、柳さん。
柳 監修でやってたのが、私です。
ヨーヨーを始めたきっかけ
金子 いつぐらいに初めて、何を最初に手に入れたのかを教えて頂けるとありがたいです。
柳 ヨーヨーを始めたのは小学校2年生のときで。ちょうどラッセル社が、コカコーラのヨーヨーキャンペーンをオリンピックに合わせて開催してたんですね。で、日本で第2回目のイベント、ちょうどモスクワオリンピックの年の1980年にヨーヨーイベントがあって。小学校の時に誰もがヨーヨーを始めてて。僕も兄がいるんですけど、兄がヨーヨーを買ったのがきっかけで、なんとなーく面白いから買ってやってみたいなと思って。それがヨーヨーに触れたきっかけです。
金子 何を最初に買われた感じですか?ヨーヨーは。
柳 最初買ったやつはちゃんと持ってて。このスプライトチャレンジ型というやつなんですけど。
当時250円で売ってたものなんですけど。おそらく近所のスーパーで、うちの母親に買ってもらったのが最初のヨーヨーのきっかけになるんですね。ただ、うちの兄はコーラを持ってて。
で、やっぱコーラってどうやっても小学生にとっちゃあ一番人気で。ファンタとかスプライトとかいろんな飲み物があるんだけど、結局コーラが買えないから、たまたまったこのチャレンジを僕が当てがわれたというのが、多分きっかけで。もう間違いなく、これを使ったのを覚えています。
金子 お兄さんはスーパーだったんですか?
柳 確か350円のスーパーを持ってて。
兄貴の友達とかもスーパー持ってて。2個下なんで、「お前はコレ」って言って。たまにスーパー借りてやってるけど、スーパーは重い。上手くできなくて。これ(チャレンジ)軽いから、これがちょうどいいのかなぁと思って。ていうので、これで練習していた思い出があります。
金子 綱渡りは、必要以上にハードルが上がっちゃう感じですね?
柳 このギャップだとどうやってもできないから。当時のチャンピオンは、このチャレンジで綱渡りとか今でいうブレインツイスターとか、ああいう技をやってましたね。
金子 当時のチャンピオン、上手いですね。
柳 チャンピオンは上手いですね。
初めて行ったイベントは?
柳 初めて行ったイベントは、コカコーラの赤い車のキャラバン。ワゴン車が小学校の近くの駄菓子屋さんとかにきて、そういうところでヨーヨーを売ってて。そこに赤いブレザーを着たチャンピオンがまず一人来て、あと日本人のスタッフが来て、通訳さんが一人いる、基本3人体制で来るんですよ。
3人で来て、大体コロンビアのチャンピオンかフィリピンのチャンピオンが来て。うちの町に来てたのはコロンビアのチャンピオンが来て、スペイン語を喋るのね。で、僕らも当然分からないし、通訳さんはコーラのスタッフなんだけど、カタコトの日本語とカタコトのスペイン語で話をしながらイベントを開催してくんだけど。なんとなく、そういうグダグダな雰囲気の中でイベントが始まっていくんだけど、子ども達はワーワーやってるのね。
イベントの流れとしては、最初にチャンピオンが来て自己紹介をする。僕のところに来たのはアルベイロっていうチャンピオンだったんだけど。アルベイロさんがまず来て、技をひと通り見せて。このラッセルヨーヨーじゃないと参加できないんだけど、中には結構知らない駄菓子屋さんのヨーヨーを持って来ちゃったりとか。
当時は、ダンカンのダンカンヨーヨーオリンピックスのヨーヨーが出てたんで、あれを持って来て参加しようとする子どもがいるんだけど、そういう子どもをまず分けていくのね。
キャンペーン中のヨーヨーしか使用不可で、コカ・コーラのヨーヨーであってもダメだったそうです。
金子 ちなみにこれって、1983とか84とかそこら辺なんですか?イーグルサムのシリーズのどっちに値するんですか?
柳 これは第2回。「帰ってきたラッセルヨーヨー」なので、第2回目になるんですね。なので、モスクワオリンピックのロゴが裏型に描いてあるし。第3弾がロサンゼルスオリンピックになるので、その時のイベントとはまたちょっと違う。
金子 なるほど!第3弾なんですね、イーグルサムは。
柳 イーグルサムは、第3弾ですね。第2弾の時も、ルールとしてはまず同じチャンピオンが来て、技を見せて、その後に子ども達を並ばせて、手にマジックで数字を書いていくんですよ。受付の順番に、1番、2番、3番って。それをスペイン語で書きながらやるんです。
例えば、金子君の手に、1番って書いたらウノとか、2って書いたらドスとかトレスとかクアトロって番号を振って。君はウノだよ、トレスだよ、、クアトロだよって言ってって、スペイン語で喋って。じゃあはい、クアトロの人って手挙げた子どもが前に出てきて。じゃあまず急回転(ロングスリーパー)やってみようとか、そういうジョーク的なこともやるんですよ、チャンピオンって。だけど、子どもってそれを理解してないから。スペイン語で番号呼ばれても分かんなくて、困惑して結果的に日本語で呼ぶみたいな。そういう凄い、グダグダなイベントをやってたんですよ。
それで、最初僕が2年生の時だから、もう完全に分からない中で行って。うちの兄貴とかってのは、そこそこヨーヨー出来るから参加するんだけど、僕なんか行っても何もできないから参加賞のシールか鉛筆を貰って帰るっていう。そんな感じのイベントだったんですよね。最初の頃は。
金子 チャンピオンの演技、簡単なデモンストレーションを見ると思うんですけど、その時って、やっぱり凄い衝撃でした?
衝撃だったね。まずテレビでやってはいたんです。コマーシャルやっていたので。ヨーヨーイズカムバックみたいなそういうCMでダブルループをやって。それで飲み物を飲んで、王冠で当ててヨーヨーを当てようみたいな。ギャラクシーヨーヨー当てようとかってやっていたので。テレビでは見てるけど、本物が見られるって思ってないのに。それが、地元のこんな田舎の小学校の近くに来るとかスーパーに来るとかっていうから、衝撃は衝撃だよね。
でも、ビデオテープとか無い時代だから、初めて見る映像に唖然とするわけ。サーカス見るのと同じだよね。そういう感じで興奮して家に帰って、もらって来たチラシとか、冊子を貰って、家でひたすら映像を思い浮かべながらやるんだけど、出来ないっていう。ヨーヨー経験者は分かると思うんだけど、止まったままブランコをやって、「できたできた!」ってやる、まさにアレを毎日やって楽しんでたっていう、そんな感じです。
思い出に残っていることは?
柳 最初、ヨーヨーをやってこんなにもできないのかと思って。
あとから知るんだけど、6週間でイベントが終わっちゃうから。だからもう、ブームがこんなに早く去るのかなって、ちょっと寂しい思いをしたのは正直なところだったのね。
で、みんな小学生だから、サッカーとか野球とかやって、ヨーヨーみんな投げて捨ててっちゃうんだけど。僕も、ヨーヨーやらない時期があったんだけど。でもやっぱり楽しかったから、みんながヨーヨーやってないのに一人でずっと練習をし続けてたんだよね。
2年生から3年生、4年生、5年生になっても、替え紐とか一杯手に入れてたんで。紐が切れては取り替えて紐が切れては取り替えて、ロウを塗ってはヒモを取り替えてってやってたから。ずっとヨーヨーは大事に使って、何年もやってて。その時にふと思ったのが、またヨーヨーブームくるんじゃないか?って小学生なりに思ったわけ。そのために、今度ブームが来たら優勝してやろう!って想いでヨーヨーやってたのが本音なの。
それで、6年生の3学期。ちょうど中学校にあがる春休みに、再びロサンゼルスオリンピックのヨーヨーブームがやってきて。そこで、今まで練習をしてた成果が発揮されるわけです。
金子 なるほど、すごいですね。継続は力ですね。
柳 本当に。みんなやらない中で、地味に練習してたので、それで大会に出て優勝をすると。小さい大会から大きな大会まであって。小さい大会だと町の雑貨屋さんとかでやるから、まぁ10人とか20人ぐらいしか来なくて。で、あ、またヨーヨーやってるんだな。大人はそういう、子どもたちもあぁ懐かしいって言ってまた始めるんだけど。
でも、こっちはもう練習してるから。基本の8つのトリックと、最後は輪投げ、ループザループだよね。あれの回数で競うってのは分かってるから。その一連の流れは全部できるわけです。だから大会に出れば絶対優勝ってなって。ちょっと100人規模とか200人規模とか大きい大会になって、そこで選ばれてもでも絶対優勝しちゃうのね。
金子 何か、同じ考えだった人はいなかったんですか?
柳 あのねぇ、いないんだよね。これが面白いところで。
結構、中学生か高校生とか社会人っぽい人も出てくるんだけど。ちょっとあのなんていうか。1984年ってさ、何かこうヤンキーみたいな人とかさ、そういうのがちょっとカッコつけてガムとか噛みながらヨーヨーやるとかそういうちょっと汚い映像もあるのよ。で、コーラの瓶を割ってしまうようなお兄さんがいたりちょっと荒れた感じもあるんだけど。でもカッコつけるんだけど、ヨーヨーうまくないわけよ。でもこっちは地味にやってるからさ。
もう輪投げの回数で…ちょっと脱線するかもしれないけど。1997年のヨメガの大会に、実は僕出てるわけなんですよ。日本橋の大会にも出てて。
金子 第1回ジャパンチャンピオンシップ東京大会ですね。
柳 あの時に、アレックスガルシアとか座ってたりする中で、トリックをやってちゃんとキャッチするまでに紐の余りが10cmあると失格とかって。結構ラッセルのルールでやってたんですよ、あの時って。「乗せて弾いて取ります(ムーンサルト)。糸が10cm伸びてます。ダメです。」ってやってたんだけど。
コーラの大会って実は凄くシビアにやってたんですよ。例えば、三つ葉のクローバー作ります、キャッチします。「あぁ、ストリング巻けてません。10cm残ってます。失格。」ってやってたのね。で、そこを凄くシビアに取られるから、それに集中してやってたんで。
だんだんこう落とされ落とされいって、最後のループザループ、輪投げの回数になる時には大体5人ぐらい残ってるわけ。その回数だから絶対勝つので。っていうふうにして勝ってたので、正確性だけはちゃんとあったわけ。
なんか、ちょっと嘘をやるわけさ。三つ葉のクローバー分かると思うけど、三つ葉のクローバーっぽい三つ葉のクローバーがあるじゃん。輪投げ3回やるやつ。なんだけどちゃんと上、真ん中、下ってやって、ちゃんと同じようにやらないと、1投目こう真上に投げなかったらその段階でアウトーってやってたので、結構シビアにやってたんですよ。
そういうのをずっと繰り返し練習してたんで。全部大会に出て、仕舞いに今度優勝して僕がくるようになると、よくある町ののど自慢大会の、のど自慢荒らしの小学生見たいのいるじゃん。また来た、あの子絶対出ちゃダメねみたいなさ、そういう位置になっちゃったのね。でもう「あぁ、君ダメね。今回から出ちゃダメ。」とか言われて。そこで社会を知るんだよね。ズルい社会を。それで、出られないからってなったら、今度はチャンピオンキャラバン側の方に並んで。「じゃあ君、もう子ども達の前でヨーヨーやってよ。見せてあげてよ。」ってなって。
1回のイベントに出ると何かグッズをもらえるとか。そういうふうになったっていう。そうやってずっとヨーヨーに携わっててね。優勝を何度もしたっていう、それが面白いきっかけになったんじゃないかな。
柳さんにとって思い出の一品とは?
柳 思い出の一品。まぁそうね、出したほうがいいですか?
金子 柳さんのお宅で撮影させていただいているので、言えばいくらでも出てきます。ヨーヨーどれだけあるんですかね?
柳 まぁ、2万個くらいあるんですけど。
金子 2万個って、相当多いですからね。(僕の所有数の倍の数をさらっと言ってますので、もっとあるはず。本当に凄いです。)
柳 本当は、チャンピオンバッグとかチャンピオンキャップとか全部あるんですけど、実はこのきったない缶が、僕にとっての思い出なんですね。
これ、最初の大会で優勝して、「あ、やっぱり努力が報われた。」って瞬間に、この缶が優勝商品だったんですよ。優勝した時のヨーヨーは、このゴールドメダルヨーヨー。お馴染みの。お馴染みのって言っちゃうのもおかしいけどね。
金子 スクラッチ当てないと本来もらえないやつ?
柳 そうそう。これ優勝すると貰えるんだけど、これを缶に並べて、優勝したら1個ずつ入れて勝ったヨーヨーをぎゅうぎゅうに持って歩くっていう。これを持っていく自分がステータスみたいな。チャンピオン来ましたよみたいな感じだったんで。これがもうリアルに自分の中の一番の思い出。
金子 いわゆるチャンピオンバッグみたいな。
柳 チャンピオンバッグですね。布製のチャンピオンバッグは大事すぎて使えないっていう、小学生ながらそういうのあったので。チャンピオンバッグも向こうに一杯あるんですけど。
柳さんがヨーヨーをやっていて良かったことは?
柳 努力は報われるって事は学んだのはそうですし、ヨーヨーを続けて一つのことを成し遂げて優勝すると、周りの目が違うっていうか。親とかも、勉強しなさいとか言うけど、ヨーヨーでもなんでもひとつ取り柄があると、周りの見方が変わるというか。
ヨーヨーやっていいんだみたいな感じになったので、次もまた優勝できればいいねぐらいの感じで、周りが応援してくれるっていう。それが一番良かったかな。
金子 …ということで、今日は柳高志さんをゲストに、色々な話をお伺いしました!柳さん、どうもありがとうございました!
柳 ありがとうございました!
金子 またいろんな企画があると思うので、ぜひよろしくお願いします!
対談の模様は、YouTubeチャンネル「YOYOMANIAX」をチェック!