本記事では、YouTubeにアップした柳高志さんと金子隆也の対談「ヨーヨープロモーションの歴史(日本編)Part.1」を、文章にまとめて掲載します!
今回は、日本で最初のヨーヨーブームと言える昭和初期の頃からハイパーヨーヨーが登場する1990年代後半までのヨーヨープロモーションの歴史を、柳さんと紐解いていきます。
当時の貴重な資料とともに、お楽しみください。
ぜひ、ご覧ください!
1971年生まれ。8歳から始めたヨーヨーは40年以上のキャリアを誇る。世界屈指のヨーヨーコレクターであり、コレクションは2万点を超える。2005年には、復刻版コカコーラヨーヨーの監修を務めた。現在はヨーヨー教室の開催を通て、普及活動も行っている。
はじめに
金子隆也(以下、金子) ヨーヨーマニアックスです!ヨーヨープロフェッショナル、金子隆也です!
今日は、日本のヨーヨーのプロモーションの話っていうのを色々聞いていきたいと思います。では、今回も柳さんに色々話を聞いていこうと思いますので、よろしくお願いします。
柳高志(以下、柳) よろしくお願いします。
金子 一番最初に、江戸時代にヨーヨーがあったっていう話があると思うんですけど、そこから行ってしまうと多分キリがないので。ロングスリーパーが出来るようになった昭和のヨーヨーブームからの話を、今日は聞きたいと思います。
【1932年】日本で最初のヨーヨーブーム
柳 江戸時代から大正時代にかけて、昭和の初期っていうのはヨーヨーじゃなくて「手車(てぐるま)」って呼ばれていました。手車がヨーヨーになったのは、外国から輸入されてヨーヨーって言葉が入ってきたんですね。諸説はありますけど、皆さんがご存知のとおり、ヨーヨーが何語かっていうところから始まるんですけど。
日本で一番最初にヨーヨーブームが来たと言われているのが、昭和7年。
「ヨーヨーブーム来たる」という風になっています。当時の古い写真があるんですけど、ヨーヨー大会がありました。
いわゆる、海外の輸入物のヨーヨーが入ってきて一大ブームが始まるんですが、このヨーヨーブームも昭和8年で、あっという間に終わってしまうんですね。
金子 これは今、国会図書館とかに行くとある本ですよね。
柳 そうですね、ありますね。よく警備員がね、暇つぶしにヨーヨーをやって、それでクビになったというのもね、一応ヨーヨーの歴史なんですけどね。
金子 首になった人の名前知りたいですよね(笑)伝説ですよね、僕らからしたら。
柳 喫茶フロリダでヨーヨー大会があって。当時優勝した人が誰なのかとか。当時有名なところで言うと、淡谷のり子さんがヨーヨー時代って歌を歌ってたとか。色々ヨーヨーに関する本は当時の物があるんですけど。当時の映像は残ってないし、実名も残ってないし。ブームがあったっていうことくらいしか、私達は資料としてないんですけど。
これは友人が作ってくれた、当時のヨーヨーですね。
当時のヨーヨーを復刻して作った物で、これが最初のヨーヨーブームだったと言われています。
【1950年代後半】森永コーラスのプロモーション
柳 それからヨーヨーって、ご存知の通り、今現在約80年間行ったり来たりのブームの波があるんですけど。次のブームが来るまでちょっと時間がありまして。
1950年代後半からは、ここにある「Genuine Russell Champion YO-YO」って書いてあるヨーヨー。
これがいわゆる、コカコーラーのヨーヨー。
ラッセル社が日本でヨーヨーを輸出品として作るんですけど、これがロングスリーパーが出来る最初のヨーヨーになるんですね。日本で売ってたものじゃなくて、海外の輸出物として作られました。このヨーヨーと同じボディで作られたのが、次の森永コーラスで。
コーラスチャンピオンマジックヨーヨーってのがありますけど。ここでマジックヨーヨーっていうワードが出てきます。マジックヨーヨーって、まぁマジックですよね。マジックって何よ?と。
金子 手品ですよね。
柳 手品のように、上り下りするヨーヨーっていうことで、マジックヨーヨーと呼ばれたと言われてますけども。マジックヨーヨーの主だったものが、森永コーラスのヨーヨーなんですが。
1963年、昭和38年に「森永コーラスを飲んで、ヨーヨーをもらおう」という、50万個のヨーヨーキャンペーンをやるんですね。
当時、CMとかで、僕らより上の世代には馴染みがあるんですけど。「電信柱に101本」っていう、森永コーラス飲んだっていう歌があります。それで、ヨーヨープレゼントをやっていたと。このヨーヨーを森永コーラスが配布用に作るんですけど、予想外に人気が出てしまって。
これが第1弾なんですが。その次に第2弾。
そして、第三弾。
作っていくごとに、だんだん形が変わって粗悪なものになって、ラッセル社のものと全然違うヨーヨーになってしまったっていうエピソードもありますね。
金子 ラッセルって入ってないときもあるじゃないですか?それが第2弾、第3弾って事ですよね?
柳 そうですね。
最初の第1弾がラッセルって入って、その次に第2弾が森永ってロゴになって、その次になると今度は何も文字が入ってないっていう。
最後は清涼飲料水しか入ってないっていう。全部で3つになるんですけど、形がだんだん丸びが帯びていかなくて、四角くなって、パック型になってしまうんですね。
金子 プラスチックのやつとかもありますよね?
柳 ありますね。
プラスチックのやつとか、チャンピオンヨーヨーとかブリキのとかあるんですけど。
例えばここにあるような、コーラスチャンピオンヨーヨーっていうんですけど。
これも形がぶれちゃって、ちょっと粗悪なものがどんどん出てくるという風になります。
【1960年代】キーワード「マジックヨーヨー」
金子 次に1963年があって、結構空くんですね?
1年ずつやってたとしても、1967年くらいから1974年ぐらいまでっていうのは、それなりに空いてるってことですか?
柳 その間は、ヨーヨーブームっていうのは、特にないですね。ただ、このときのヨーヨーの型を使って、色んなものを作られていて。例えば、ここにあるマジックヨーヨー。
マジックヨーヨーっていうのが1つのキーワードとなるんですけど。こういったヨーヨーで作られたりとか。テイチクレコードさんから、嵐レナさんっていう方なんですけど。株式会社光洋で作ってるヨーヨーですね。
これもマジックヨーヨーで。こういった物とか。とにかくヨーヨーはマジックヨーヨーっていうように世に定着するように、色んなメーカーが作っていきます。
金子 僕らの中でその光洋って、ハイパー世代なんですけど、駄菓子屋さんで売ってるイメージしかないんですけど。すっごい古いメーカーさんでずっとヨーヨーやってるんですね。
柳 古いメーカーさんは、マジックヨーヨーっていう名前でヨーヨーを普及させようと一生懸命やっていました。
【1970年代】ラッセルヨーヨーのプロモーション
柳 それを1つ覆すような出来事が起こるのが、コカ・コーラの第一弾でラッセル社のラッセルヨーヨーですね。
1974年に、まず南九州。九州からプロモーションをやります。ブッサボバレスさんっていう有名な方が居るんですけど。彼らが来て、ラッセル社の奥様のアツコテラハラさんとか、ミツヨさんとかがいらっしゃって、最初のラッセルのイベントを開催します。
ラッセルのヨーヨーには、ラッセルマジックヨーヨーっていうワードを使わないんですよね。ラッセルヨーヨーは、どこまでも自分たちのポリシーを守って、ラッセルヨーヨーと呼んでラッセルマジックとは呼ばないですね。でも、ヨーヨーのことはマジックっていう風に呼んでしまう。
ラッセルヨーヨーは、一つの「ラッセルヨーヨー」ってワードを日本の世に定着をさせます。これでコカ・コーラのブームがひと段落して。途中でですね、すごくマニアックなのが1つ。
金子 そうですね、今日はそういう番組なんでガツガツ突っ込んでください。
柳 これだけでもう、僕は数時間喋れるくらいなんですけど。
セントラルアメリカンヨーヨーってヨーヨーがありまして。
実はラッセルヨーヨーも大ブームになって。フィリピンで作ってるヨーヨーなんですけど、このヨーヨー自体の生産が間に合わなくなるんですね。
金子 これって、世界で同時展開してるんですよね。おそらく。
柳 そうです、そうです。
金子 日本だけじゃなくて、色んな所でプロモーションしてるってことですよね。
柳 はい。当時この型のヨーヨーはフィリピンで作られていて。その前の60年代のプロモーションはオーストラリアだったり、ニュージーランドとかデンマーク、ヨーロッパでも色々やってたんですけど。
日本でやっていたラッセルキャンペーンは、全て、メイドインフィリピンだったんですね。ただヨーヨーがどうしても足らなくなってしまったんで、急遽慌てて日本のメーカーに発注を出します。その発注出された会社が、株式会社共輪(キョウリン)という会社だったんです。
東京にあった会社なんですが、そこの会社がラッセルヨーヨーの正式な会社としてヨーヨーを作るんですね。
コーラのブームの晩年のヨーヨーっていうのは、セントラルアメリカンを作っていた株式会社共輪が作っています。共輪は、こんなにヨーヨー売れるんだったら自分の会社でもオリジナルのヨーヨーを作ってしまおうということで、そこで生まれたのがこのセントラルアメリカンヨーヨーなんですね。
金子 ラッセルとかあれですよね。見てるとメイドインフィリピンと書いてあるのと、メイドイン〇〇って書いてない2バージョンがあって。書いてない方が、日本産ってことですよね。
柳 そういうことです。例えば、分かりやすく言いますと、このミスターピブのヨーヨーなんですが、プロフェッショナルとか…。
金子 この家、実は二万個以上ヨーヨーがあるらしいんで、言えば何でも出てくるんですよ。
柳 手が伸びるところに、なんでもあるんですよ(笑)
例えばこの二つの違い。ちょっと見にくいんですけど。こういう形でメイドインフィリピンって書いてるものと書いてないものがあるんですが。
こっちは掘りロゴ。こっちはプリント物、箔押しのプリントなんですね。これが日本(プリント)で後から作られたもの、これがフィリピン(堀りロゴ)で作られたっていうものになりますね。
柳 こうゆう感じで、共輪がオリジナルのヨーヨーを1977年くらいまで作るんですが。
コカ・コーラのブームとともにセントラルアメリカンも独自のプロモーションを展開するんですけど、なかなか定着せずにヨーヨーのブームと共に下火になって。
この次に、マジックヨーヨーがあります。嵐レナのマジックヨーヨーなんですが、凄く重要なのは、実はここなんですね。ダンカンヨーヨーオリンピックスのヨーヨーですね。
ダンカン。皆さんが大好きなダンカンですけども。
金子 1930年からヨーヨーを売っている、アメリカのダンカン社ですね。
柳 このダンカン社のヨーヨーを正式に販売していたのが、日本のダンカンヨーヨーなんですけど。1979年にこれを発売してたんですが、販売してたのがツクダオリジナルさん。ツクタオリジナルが販売していました。
注目してもらいたいんですが。スポーツヨーヨーとは書いてあるんですけど、マジックヨーヨーとは書いてないんですね。
金子 これちなみに、1979年のアメリカも同時展開しますよね。
柳 そうです。アメリカのダンカンヨーヨーオリンピックスっていう言い方なんですが。
ヨーヨーオリンピックスは、オリンピックの年に合わせて作っていました。ただ、そのヨーヨーオリンピックスっていうロゴが日本には合わなかったんで、アメリカ版は「YOYO OLYMPICS」って書いてあるんですが、日本の場合には「SPORTS YOYO」とロゴを変えています。
これで日本で売ります。スーパーテクニックブックの中に色々書いてあるんですが。ワーリーバードとかね。
金子 こっちは90年代の方ですよね。
柳 これは新しい方ですね。オリジナルのやつもあるんですけど。
ツクダオリジナルさんは、1963年の昭和38年。
森永コーラスヨーヨーも、実は、旧ツクダオリジナル。ツクダヤの時代に作ってるんですね。
ですから、日本のロングスリーパーの出来るヨーヨーの歴史を紐解くときに、ツクダヤさんが基本になって、ずっと展開していたと。
途中でラッセル社が入ってきて。
最初ラッセルはヨーヨーを作っていたんですけど、輸出品として作っていたので。このラッセルヨーヨーキャンペーンに合わせて、ラッセルが日本に入ってくる。その前は、ツクダヤさんが展開していた森永コーラスヨーヨーが元祖。というふうになっている。その後に第2段。
金子 ツクダヤさんは、おそらく企画会社さんですよね?
柳 そうですね。
金子 おもちゃを企画をするという会社で作らせたんですよね。そこに森永コーラスが依頼をして一緒にやったって言う感じですよね。
柳 森永コーラスを、世に広めるためのキャンペーンっていうことで。
金子 おもちゃやさんに依頼して、作ってやったってことですよね。
柳 そうですね。
金子 森永コーラスが独自に考えたキャンペーンではなくて、ヨーヨーってものがあって、そこに対しての企画ってことですね。
柳 っていう風になりますね。じゃなければ、ちゃんとこれだけ使えるヨーヨーを作れてるっていう事にはならないと思う。ツクダヤさんのノウハウがなければ、おそらく森永コーラスもブリキの安っぽい上げ下げしか出来ないようなヨーヨーとか、もっと廉価版のヨーヨーをつけたはずなんですけど。
これだけクオリティのいいものを、ボトル1本に対して1個つける。50万個はがきを送り返したらプレゼントしますよっていうキャンペーンをやったってことは、およそヨーヨーに自信があったからやったという風にしか思えない。
金子 ちなみに、オリンピックスヨーヨーに戻ると、このときにホイールズ、メッキのホイールズと、あとインペリアルのラメのやつ…。
柳 ツクダゴールドクラスですね。トーナメントシェイプの形に行きつきます。
金子 ツクダのゴールドクラスの方は10年後ですよね?93年にプロモーションを。
柳 そうですね。あとの方のプロモーション。
金子 それはあとでいきましょう。その後になると、柳さんが始めたシリーズですね。
【1970年代後半】コカ・コーラヨーヨーブーム
柳 小学校2年生の時に初めてやったこのコカ・コーラですね。スーパーですけど。一番欲しかったスーパーですね。
このキャンペーンが1979年から80年にかけて行われました。余談ですけど、モスクワオリンピックは、日本が出場辞退しましたので。最初のオリンピックのヨーヨーは、こうゆう風に日の丸が入ってたんですね。
JOCのロゴが入ってますけど。日本が辞退するってなると版を変えて、両面ともコーラに変えてしまうという。後期に出てるモデルは日の丸が消えていると。オリンピックのロゴが消えているという。
金子 マニア的には両方揃えているんですよね。コーラ×コーラのやつと日の丸のやつ。両方持ってないと、気が済まない。
柳 当時流行ってたキャッチコピーの「Come on in. Coke」って入ってるやつロゴのやつと。3種類集めて初めてコークコレクションが揃うと。
金子 あと、スペシャルスピンの薄っぺらいやつもありますよね?2種類あって、チャレンジを変形させたような形の。
柳 そうですね。形としては…。あります。すいません、すぐに出てくればいいんですが…。
金子 大丈夫です。2万個あるって視聴者の皆さん分かってますので(笑)
柳 その後に、ロサンゼルスオリンピックのヨーヨーがブームになりますね。
金子 このヨーヨー、僕らの業界では評価されてるんですけど。レスポンスって言われるスターのギザギザの部分。あれがステッカーになってるのがこのヨーヨーが最初だよって。
いつからあったの?って、このヨーヨーのときにはもうあったよって言われるヨーヨーなんで、このときのスペシャルスピンは結構評価が高いっていう。
柳 こっちのスペシャルスピンは、割と使いにくい、子供たちの間では使いにくいヨーヨーっていうイメージがあったんですけど。
聖火のモデルになった84年のスペシャルスピンは割とみんな使いやすいというか。
ループが出来る、輪投げが出来るという。これは輪投げが出来ないという。僕らの中では懸念されてた。しかも500円っていう値段がネックで、誰も欲しがらなかったっていう。
金子 今でもたまにありますよね。古いお店に入ると。
柳 これだけ売れ残っちゃうのがあってね。チャレンジが250円で倍の値段するのに使いにくいっていう、最悪のケースで。
金子 僕らの中では、これにロウ塗って遊んだりするんですけど、結構良く回って出来るよねって。間違った使い方をしています。
柳 基本ラッセルの中って、木製の軸になってるのに、これは鉄で出来てるから。腐食もしないし、割れて壊れることも中々ないので、そういう点では使いやすい…。本当は使いやすいのかもしれないですけどね。
金子 ラッセルの凄いところって、かれこれ50年近い訳じゃないですか。50年近くても、圧入でやってるのにボディが割れていないって凄いですよね。
柳 確かにそうですね。割と割れないんですよね。下に落として割れるときっていうのは、キャップが外れる。これなんかですと、キャップが割れたりとかするんですけど。
金子 これ、ワンピースなんですか?チャレンジって。ツーピースですか?
柳 ツーピースになってます。これ取れます。
金子 インペリアルとかと同じような感じですね。
柳 はい、そうですね。
【1980年代】スケバン刑事ヨーヨー
金子 じゃあ、本編に戻りまして。次がこの千森産業(センモリサンギョウ)のヨーヨーですね。
柳 ここにこれがあるっていう位置づけなんですけど、この千森産業のヨーヨーがスケバン刑事のヨーヨーのボディに選ばれたということなんですね。
ドラマで使われていた、スケバン刑事のヨーヨーですね。
ちなみに、スケバン刑事ヨーヨーの第一弾、斉藤由貴さんがやってたときのヨーヨー指導の滝雅也さんっていう。最後のテロップで出てくる菊地剣友会の滝雅也さんが、この方です。
金子 ドラマの中でも登場されてますよね。
柳 そうですね、ヨーヨー売りとしてご自身も出演してますね。元々この方はマジシャンで、まさにマジックヨーヨーは、この方が名づけたうちの一人だと言われていますけど。滝雅也さんが斉藤由貴さんにヨーヨーを教えたというようなエピソードが残っている。
金子 ちなみにヨーヨー売りさんが売ってるところのヨーヨーは、この千森産業のチャンピオンヨーヨー?
柳 そうです、そうです。これを銀に塗って、キャップを付けて売ったというのがありました。次のヨーヨーブームのですね。
金子 ヨーヨーって言われると何?って言われる中の、名詞のうちの1つになるやつですよね。
柳 その次は分かりやすくありますけど、スケバン刑事のヨーヨーですね。
金子 光洋さんが作っているスケバン刑事のヨーヨーですよね。当時って、オリジナルの販売されてた、本物っていうのはないんですよね?
柳 ないです。バンダイさんとか色んな所で作ってましたけど。僕もそのスケバン刑事風ヨーヨーを収集して数十種類ありますけど、どれ1つ本物って言えるものはないですね。
ただ、映画の撮影小道具で使った物とか、当時作ってた方から譲り受けたものが、本物って位置づけされていますけど。
金子 限りなく本物に近いのは、千森産業のチャンピオンヨーヨーを銀に塗装したものにアクリルのプレートを貼ったものが。
それがオークションとかでだいたい1万円ぐらいするところで取引されているのが、その作り方を分かってる人達が作ったものですよね。
柳 ちなみに、ドラマ見たら分かると思うんですけど。アップをしたときにパカッと開くやつがあると思うんですけど。
桜の大門が出るのは、実はヨーヨーではないんですね。KOSEのファンデーション塗る化粧品のパックなんです。
化粧品のコンパクトを改造して作っているんので、あれを二枚合わせたところでヨーヨーになるもんじゃないんですけど。アップ用のやつはKOSEの化粧品のコンパクトなので、実質パカっと開いてスリープが出来るヨーヨーっていうのは存在しないよっていう。
なので、コーラとかコーラスとかでヨーヨーキャンペーンとか、ラッセルプロモーションなんていう大会がありましたけど、スケバン刑事のラインでヨーヨー大会ってのはないです。不可能です。
金子 そうすると、次に来るのがさっき出てきました、ツクダオリジナルの1992年とか93年とかそこらへんですか?
柳 ツクダさんは、コンスタントにこういったヨーヨーを作っていたので。これが、さっきのテクニックブックなんですけど。
プロモーションっていうプロモーションはしてなかったんですけど。この冊子が出たのが1992年なんですね。冊子が出た92年に版を刷り直しているので、ゴールドクラスのときに作ってると。
独自のヨーヨートリック集を作って、大会とかまでは行わなかったんですけど。ヨーヨー普及には、ずっと一役を担っていたというのが、ツクダオリジナルさんなんですね。
金子 YouTubeかどっかの映像媒体でCMが今も上がってて、「ヨーヨーガールズがお店で待ってま~す」って最後終わるっていうコマーシャルがあるんですけど、別に大会をやってた訳じゃなくて。買ってくださいっていうのでやっていたんですかね?
柳 僕も最初、自己紹介のときにお話したとおり、僕にとってヨーヨー大会のちょうど空白期なんですね。ここは、私がまた改めてヨーヨー集めようと思い出したときに、「あ、そうだ。ツクダさんがヨーヨーを作ってる。」と思って集めてるので。
実は、そのイベントだったりとか、ヨーヨーガールズがお店の前で待ってますっていうのは、実は私参加もしてなくて、全く触れてないんですね。
金子 ここを知ってる人は、僕に連絡をいただけると。
柳 おそらく、僕らは喜ぶという。当時の関係者が現れたら嬉しい。くどいですけど、嵐レナさんが今どうしてるのかっていう情報が、今一番欲しかったりとか。テイチクレコードから…。
金子 これ1970年代だから。70歳とかってことですか?
柳 1960年代の空気感なんですよね。
金子 1960年代ってことは、プラス60だから…80だから…。
柳 20代と仮定すれば、まだまだ70歳前くらいの感じかなと思うので。
このニットもどこにあるのか、ちょっと気になるんですけど。キャラクタープッチーって書いてますけども。
一応、曲は聞いたことがあるんですよ。CD化されてたのがあって、音源は一応聞いたことがあるんですけど。いつまで活躍されてたのか、現在どうしているのかは分からないので。
金子 「あの人は今」みたいな番組に出てくることを、僕らは祈るしかないですね。
柳 これがダメなら我々共同で、探偵ナイトスクープに依頼するしかなくなっちゃうので(笑)
金子 永遠にハガキを送って。お願いします。
柳 自分の中の、ヨーヨーの闇の中のひとつなので。脱線してしまいましたが。ここのゴールドクラスもそうなんですけど。で、これが終わった後に…いよいよ、遂に。
【1990年代】ハイパーヨーヨー初期
金子 ファルフォーク社が輸入していて、中村さんとか有名な方々も始めたって言うところですよね。
柳 おそらくそうですね。「頭脳を持ったヨーヨーブレイン」っていうキャッチコピーが面白くて。使ってみて、クラッチで戻ってくると。これ面白いなーって。こんなヨーヨーってブームになる事ってあるかなぁって思って使ってたので。おそらく96年とかくらいだったんですよね。
それで、1997年の夏くらいですかね。池袋の西武で、バンダイが、いよいよ本格的にヨーヨーを展開するって聞いて驚いたっていうのが背景だったんですね。
それまでは、スポーツメーカーのSRCなどが独自に輸入して展開して売ってて。デイルマイヤーバーグさんを呼んでヨーヨーを普及しようとしてたっていうのがあって。
その辺の前後っていうのは、関係者じゃないので分からないのですけど。バンダイがどういう経緯でハイパーヨーヨーっていう名称を使って売る背景になったのかとか。自分にとっては、ヨメガブレインで良かったのにって思うのが、ハイパーっていうのが。
金子 勝手な話ですが、スーパーヨーヨーじゃないですか、コカ・コーラが。ハイパーはその上って意味なのかなって、勝手に思ってます。
柳 当時のヨーヨーを知ってる世代の人達が、前がスーパーだったからハイパーで行こうっていうそのくらいのノリで。
金子 そういう感じじゃないかなぁっていう気はしますけど。
柳 アメリカでハイパーっていうネーミングを使ってるヨーヨーっていうのは、疎いんですけど、ないですよね?
金子 多分、僕の番組はそういう関係者の方が見てると思うので、そういう方々がそのうち答えてくれるのを待ちましょう。
柳 そうですね。私も、最初の東京の97年の大会に出たときに、セイバーウィングとセイバーレイダーが欲しくて参加して。
セイバーレイダーっていう名称を言っている段階で気持悪いと思っているかもしれないんですけど。僕にとっては、セイバーウィングだったし、セイバーレイダーだったんですよ。
それが、ステルスレイダーとかステルスブレインっていう名前に変わるじゃないですか。最初に貰ってみるとセイバーって書いてあるから、それを見て「かっこいいヨーヨーだなぁ。」と思ってたんですけど。
日本に入ってくると、名称も変わるんだなぁと思って。そこのギャップが、凄く面白かったんですよね、ハイパーヨーヨーが流行ったときには。あぁ、こう変わるんだなっていう。
金子 恐らく、これ以上喋っていると凄く長い動画が出来上がるので、第二部はハイパーヨーヨーを。
次回は、1997年から2010年の第三期のハイパーヨーヨーまでを、柳さんとお話していきたいと思います。では、今日はこの辺で!