本記事では、YouTubeにアップした柳高志×金子隆也の対談「コカコーラヨーヨーキャンペーン終了の1984年〜1997年のハイパーヨーヨー開始まで、どうやってヨーヨーを続けたか? 柳高志氏編」を、文章にまとめて掲載します!
今回は、柳高志氏が経験したヨーヨーの冬の時代をメインに、ヨーヨーをどのように収集していたかという話やハイパーヨーヨーブームの過渡期の話について紐解いていきます!
併せて、お楽しみください!
1971年生まれ。8歳から始めたヨーヨーは40年以上のキャリアを誇る。世界屈指のヨーヨーコレクターであり、コレクションは2万点を超える。2005年には、復刻版コカコーラヨーヨーの監修を務めた。現在はヨーヨー教室の開催を通て、普及活動も行っている。
はじめに
金子 YOYOMANIAXです!ヨーヨープロフェッショナル、金子隆也です!
今日は、柳高志さんをゲストに迎え、色々な話を聞いていきたいと思います。
では、柳さん、よろしくお願いします。
柳 はい、よろしくお願いします。
【1984年〜1997年】ヨーヨー冬の時代の到来
金子 前回、柳さんのヨーヨーとの関係を聞きましたが。その続きで。
僕らも、同じように体験するんですけど。ヨーヨーのキャンペーンが終わってから、次のキャンペーンが始まるまで。柳さんでわかりやすいのだと、コカ・コーラのヨーヨーブームが終わってから、ハイパーヨーヨーのブームまで。その間を、どうやって過ごしていたのか?を聞きたいと思います。
柳 コーラのキャンペーンというのは、1クール6週間と言われていて。日本中で、いろんなイベントをやっていて。
ロサンゼルス オリンピックが終わって、ほぼイベントが無くなって。最後、長野で終わるのが1984年に終わってしまうんですね。
そこから、次のハイパーヨーヨーのブームになるまで、約13年〜14ほどあるんですが。それまでの間は、僕自身も、中学高校で運動をやったりだとか。受験だったりとかで、そんなにヨーヨーはやってなくて。
でも、たまにやりたくなったときに、替え紐のストックがあったりとか。そういうのを大事に使ったりして。ヨーヨーの腕が落ちないようにはやってたのね。
金子 ちなみに、ストックってどうやってしてたんですか?大会で優勝して貰ってたんですか?
柳 そう。大会で優勝して貰ったのもあるし。同じ経験をしてると思うんだけど。
ヨーヨーのブームが去る頃って、コーラのヨーヨーの変え紐って3本60円で売ってたんだけど。それがもうヨーヨーの紐だけになると、駄菓子屋のおばちゃんとかくれたのね。
金子 はいはいはい。
柳 まとめて、お兄ちゃんあげるよとか言って。
金子 あとは、凄く安く買うとか。
柳 安く買うとか、そうそう。
ヨーヨーが売れちゃってて紐だけ買う人なんていないから。馴染みの駄菓子屋とか近所の駄菓子屋とかに行くと、ほとんど捨てちゃうような状態だったので。そういうのも貰ってたりとかして、ストックはいっぱいあった。
【1980年代後半】スケバン刑事ブーム
柳 コーラのヨーヨーのブームが去って。高校生くらいになったときにちょうど、スケバン刑事ヨーヨーブームとかあったんだけども。
ただ、スケバン刑事のヨーヨーブームっていうのは、ヨーヨーやってる映像をみんなが分かるだけで。バンダイさんが作ったりとか、それこそ海賊版のヨーヨーが出たりとかいって。みんなそこで、ヨーヨー=スケバン刑事みたいなイメージがあるんだけど。イベントをやったり、ヨーヨーショーがあったりとかは、一切ないので。
だからといって、紐が買えないとかでは無いし。
そのときに、ヨーヨーはできるからスケバン刑事のヨーヨー渡されて。「ちょっとやってみてよ。上手いんでしょ?」って言われて。チェーンのヨーヨーでやらされるっていう(笑)あるあるなんだけど。
柳 そんなんじゃ何もできないよ、綱渡りもできないよっていう。
金子 若干、いじめに近いような(笑)
柳 輪投げやった瞬間、手に絡まるみたいな(笑)そういう経験をしてたんだけど。
ヨーヨーは、忘れ去られてはいなかったのね。
ヨーヨーコレクションの収集について
柳 ただ、僕自身が、今これだけヨーヨーのコレクションがあるっていうのは、中学・高校からお金があって集めてたわけじゃなくて。
当然みんな、ヨーヨー好きな人で収集始める人っていう人は、ちょっとお金が無いときは集まらないんだけど。ちょっと余裕が出てくる頃なんですよね。
僕も、実は、二十歳のときに。下北沢とか。おもちゃ屋さんとか骨董品屋さんとか回ったときに。
当時、僕が優勝したロサンゼルスオリンピックのヨーヨーだったりとか、その前のモスクワオリンピックのヨーヨーだとか。さらに、その前のモントリオールのヨーヨーとか。そういったものが、当時の値段よりちょっと値段が高いくらいで、意外と見つかって。
金子 ちなみに、ラッセルでいくらくらいなんですか?
柳 ラッセルはね、下北あたりで高くても800円くらい。まぁ、リアルな値段だよね。
で、当時76年のヨーヨーって、そんなにたくさん持ってなかったんだけど。でも、そういったものが手に入るんだよね。
柳 そうなったら、ちょっとお小遣いも持ってるし。なんか、全部コンプリートしたくなったわけなんですよ。それで店を回ったりだとか。
昔は、おもちゃショーとかやってたので。そういうところに行くと、コーラのヨーヨーとかが出てきたりしてて。それで集めて。チラシとか見てて。当時手に入らなかったものとかを集めていって、収集に火がつく。
ハイパーヨーヨーブームの過渡期
柳 収集に火がついて、それから集めて行って。収集熱が3年〜4年くらい経ったとき。
1996年〜97年くらいのときに、SRCっていうスポーツメーカーがあって。そこが変わったヨーヨーを売ってるっていうのを見つけて。で、行ったらそれがいわゆるファルホークっていう会社が輸入してた…。
金子 僕らで言うと、レイダーが一番有名ですよね。あの赤いやつ。黄色い紙が入っている。
柳 そうそう。レイダー。アクリルのケースに入ったやつで。ちょっと豪華になってるやつで。ホログラムの入ったレイダーとか。そう言ったものが売ってて。
柳 これは、ハワイのサーファーが波待ちのときにやってるよって言うヨーヨーで。「頭脳を持ったヨーヨー、ブレイン」っていうのがあるよっていうのを聞いて。収集してたけど、実はそういうものは収集してなくて。
柳 たまたまその「頭脳を持ったヨーヨー、ブレイン」っていうのを買って。やってみたら、中にクラッチが入っていて自動で戻るって言う。「あぁ、ヨーヨーももう終わったな」って思ったけど。遂にこうなっちゃったのかと(笑)
金子 なんか、機械っぽいですもんね。
柳 これはヨーヨーじゃ無いと思ったんだよね。なんだけど、コレクターだから当然のように全部買うわけですよ。レイダーとか色んなものを買っていって。SB2とか。そう言ったものも出てて。
それを買ってやっているときに、ちょうどSRCが当時のチャンピオンを呼んでやりたいっていったときに。日本に来てやってたのが、デール・マイヤバーグ。
マイヤバーグが来たときに、僕はその人がどんな人だか知らなくて。ずっとこう、会ってお話するたびに「昔のチャンピオンなんだ」とかってラッセルの話とか聞いても、なんでも話がわかるし。凄い人がいるもんだなと思って。
この時代の写真が、FacebookのTHPグループに掲載されています。
柳 そんなんで、またヨーヨーのブームが来ればいいなぁと思ったすぐ翌年に、さっき言ったハイパーヨーヨーブーム。日本橋の大会が、1997年に行われるっていう。
それで当時、ヨーヨーやってた人にもクローズアップされた時代があって。そこから、また少しヨーヨーを真剣にやろうと思ったんですね。
ブームの影に隠れていたヨーヨーメーカー
金子 ちなみに、千森産業とか、光洋とか。そういうところは、ヨーヨーを売ってるわけじゃないですか?そのときは、買いはしなかったんですか?
柳 買いはしなかったですね。
収集を本格的に始めるようになってから、遡って。例えば、光洋とか千森産業とか。当然、DUNCANのヨーヨーを売っていた、1997年に輸入してたツクダオリジナルさんとかも、あとから買うようになって。
当時、1980年のロサンゼルスの前のモスクワ大会があった頃に、ヨーヨーオリンピクスでDUNCANが出してたので、おもちゃ屋さんで買っていたんだけど。
なんか、DUNCANのことも知らないし。ラッセルがヨーヨーだと思ってたから。
偽物のヨーヨー、なんか薄っぺらいし。やりにくいな。ループはしやすいけど、なんだコレって思ってて。糸を何重にもかけないと、空回りしちゃってできないなって。そういう思い出があったので。
他社さんというか、古いメーカーさんの名前は知ってても、そこまで、そんなに詳しくはなかったですね。
金子 僕らのときも、やっぱりハイパーヨーヨーが全てて。
それ以外のところって古くからやってても、そんなに印象が良くなくて。
でも、収集とかしていって色々な話とか聞いて行くと。実は、〇〇社と〇〇社が凄い深い関係があって。そこから枝分かれしたのがコレだよみないな話は、あとから僕らは分かることですもんね。
柳 そうですよね。
金子 ということで、今日は柳さんに冬の時代について色々お話を聞いてみました。また次回をお楽しみに!