本記事では、YouTubeにアップした柳高志さんと金子隆也の対談「ヨーヨープロモーションの歴史(日本編)Part.2」を、文章にまとめて掲載します!
今回は、ハイパーヨーヨーブームが始まる1997年から、バンダイのプロモーションが終了する2000年までの歴史を、柳さんと紐解いていきます!
なお、前回の「ヨーヨープロモーションの歴史(日本編)Part.1」では、日本で最初のヨーヨーブームと言える昭和初期の頃から、ハイパーヨーヨーが登場する1990年代後半までのヨーヨープロモーションの歴史をテーマに話を展開しています。
併せて、お楽しみください!
1971年生まれ。8歳から始めたヨーヨーは40年以上のキャリアを誇る。世界屈指のヨーヨーコレクターであり、コレクションは2万点を超える。2005年には、復刻版コカコーラヨーヨーの監修を務めた。現在はヨーヨー教室の開催を通て、普及活動も行っている。
はじめに
金子 ヨーヨーマニアックスです!ヨーヨープロフェッショナル、金子隆也です!
今日は、前回のヨーヨーのプロモーションのハイパーヨーヨーの部分から話をスタートさせていきたいと思います。よろしくお願いします、柳さん。
柳 はい、よろしくお願いします。
ハイパーヨーヨーは全種類、全カラーを購入
金子 1997年にハイパーヨーヨーが始まると思うんですけれども、一番最初のハイパーヨーヨーって、何を買われたんですか?
柳 ハイパーヨーヨーを買ったのは、僕25歳で社会人だったので。ヨーヨーに使うお金も、収集して5年くらい経ってお金が貯まってたので、出ていたシリーズは全部です。今でもしっかり覚えてるんだけど、池袋の西武に行ったら…。
金子 池西(イケセイ)ですね!
柳 そうそうそう!イケセイに行ったら、いわゆるインペリアルの形だったりとか。
あとはネオンカラーのネオンとか出てて。
とりあえず全カラー2個ずつ買ったんですね。
「あぁ高いなぁ…。」と思いながら。ファルフォークで買ってるノウハウがあるので。あぁでも、このぐらいするんだろうなぁっと思って。とりあえず全部買ったら、箱とかディスプレイも全部貰えるだろうと思って買ったんだけど、箱とかもらえず。巻チラシとかそういうの全部貰って。
そのときにイベントのチラシとか貰ってっていうのが。「THP来たる」みないな。というのをしっかり覚えていますね。
金子 なるほど。
柳 「なんだTHPは?」っていうのが。
金子 3月に出るじゃないですか。3月発表で4月に販売開始されるんですけど。4月の段階でほとんど全部買って?
柳 そうですね、4月の段階で全部買ってますね。
金子 次に、でもそこを別に練習する必要もないですよね。当時から出来るから。
柳 そうですね。
金子 多分、何回か話に出ると思うんですけど。ジャパンチャンピオンシップの前にファイヤーボールとか、ブレインが販売されるじゃないですか?ブレイン、ファイヤーボールの順番か。順番的に言うと。それも同じように?
柳 はい、全部。全種類。全カラー買って。でも開けて楽しもうとは思わなかったですね。
ターミネーターを愛用
柳 結局、自分は固定軸のヨーヨーで慣れてるから、何を使っても面白くない訳ですよね。ブレイン使っても面白くないし。結局、ネオンとかいわゆるインペリアルの形だったりだとか使ってるんだけども。
そのときに、実はターミネーターというヨーヨーとかあって。
Oliver’s Toyのヨーヨーを買ったんですよ。同じくらいのときに出てて、ウッドアクセルが気持ちよくて。結果的に、それしか使ってないです、あの頃は。
金子 これって、やっぱり生きた時代で「バインドのヨーヨーはだめなんだよね」っていう方と、「引き戻しじゃないと気持ち悪い」っていうのと一緒で。プラスティックのベアリングが入ってるとか、ウッドアクセルじゃないとダメっていう世代のところが。
日本ではそこまで居ないと思うんですけど。海外に目を向けたら多分、そういう派で分かれるんですよね。きっとね。
柳 と、思うんですよね。ウッドアクセルは小さくて。しかも、樹脂がやらかいし、ホログラムも綺麗だったので。しかも、トーナメントにないシェイプじゃないですか、Oliver’s Toy のヨーヨーって。あれがやっぱり、手に凄く馴染んでて。
ちょっとおかしな話なんですが。こんなにバンダイがいろんなの出してるのに、結局バンダイのヨーヨーは、何一つしっくりこなかったっていうのはあったっていう。
金子 デール・オリバーは自分でもやられていて、そのノウハウで作ってるじゃないですか。ダンカンとかも、もちろんフローレスさんから始まってるんで。それこそ、自分が好きなものを作っているとか、自分のやりやすいものを作っているとかですけど。
だいたいのメーカーって、ヨメガはブレインっていうちょっと違うじゃないですか。「使いやすい」がキーワードで作ってないので。デール・オリバー自体がプレイヤーで作ったメーカーで、ちゃんと流通させたっていう意味では、そこのニーズに合ったってことですかね。
第1回ジャパンチャンピオンシップ参加までの経緯
柳 実は、いつもOliver’s Toyのヨーヨーだけを持っていながら。コレクターなので、イベント行くのもコレクションだと思ってたんで。とりあえず、イベントのチラシを貰って、全部のイベントに行ってみようと思って。かなりのイベントに行ってたんですよ。
THPってなんだか分からなくて。初めて見たときに、色んな子供達がいっぱい居たわけですよ。僕もそこそこヨーヨーできると思って行ったら、なかなかちょっとびっくりするような技をいっぱいやってて。
金子 コロコロは買われてないんですか?
柳 コロコロはそうですね、後付けで買いましたね。その後もずっとコロコロは買い続けて、今でも全部ストックはあるんですけど、コロコロとかも買ってましたね。
確か、僕の記憶が間違ってなければなんですけど。僕がイベントのときに。そのときはイベントなので大会はやっていないんですけど。技を見せてて、僕も端っこで出来るかなぁって思ってやってたときに。
Oliver’s Toyのターミネーターを使ってたんで、それを、グルグルグルグル回してたんですね。そしたら、スコットチョイが見てて。「あっターミネーターだ!お兄さんできるのヨーヨー?」みたいな感じで言ってきて。「えぇ、ヨーヨー好きで。」って話をして。
それをアランさんのかなナガオさんなのかな、誰かが見てて「え、あなたヨーヨーやるんですか?」みたいな話で。「いや実は、コーラの世代の人で」って。「こうゆうイベントやると、コーラの世代の人が来てくれるんですよね。」ってその話になって。そこから面識ができてっていう感じになって。
それからずっとイベントに行き続けて。「今度、日本橋で大会があって良かったらやりませんか」っていう流れで、「じゃ行ってみます」って言って。ハイパーヨーヨーの第1回の大会に、実は出てるんですよ。
情報が無いが故に、後付けで知ったヨーヨーテクニック
金子 1980年代に始めたじゃないですか?97年に、その技を見たときに凄かったって言ってるじゃないですか?
他のビデオとか見てても、1960年代の前半か50年代の後半かちょっと定かじゃないんですけど。あそこらへんの頃の技と、96年くらいの技って、そこまで実は進化してないですよね?
柳 進化してないんですけど、これデジタル時代の人間とアナログ時代の人間の差なんですよ。97年に、ハワイのチームが来ましたよね。ハイパーパフォーマンスカイト来ましたよ、THP来ますよって言ってて。ただ僕らは、50年代、60年代の映像って、後付けで見てるんですよ。
例えば、さっきのテクニックブックの79年のやつでもそうなんですけど。
ワーリーバードとかですね。そうゆう技をやってるトリックとか、載ってるんですよ。70年代で、このヨーヨーでそんなトリックやったりとか。それこそアトミックファイヤーとか、スプリットジアトムとかやってたりとかするんで。
実は出来ていたのに、僕ら情報が無くて。ラッセルのチャンピオンがやってた技しか覚えてないから。後付けで、「あの当時から、こんなこと出来たんだ」っていうのを分かったんです。
THPの子供達が、ガルシアもそうだし。みんなあの頃からやってて。ストップ&ダッシュを見たときに、ヨーヨーは終わったって思ったんですよね。こんなことも出来るんだって。よくよく考えたら、そうでもないんですけど。
クラッチが入ってるのがどうこうじゃなくて。もう、スピードに驚いたんですね。アレックス・ガルシアのスピードだけにはちょっと度肝をぬかれました。
金子 あれですよね。ヨメガの東急ハンズとかに流れてたビデオは凄いっすよね。それこそファルホークのビデオかな?吹替えが入ってる「頭脳を持ったヨーヨーです」って言いながらアレックスがブワーってやってる。あれは、スローモーションにしても早いやつですよね。
ヨーヨー大会は自分の居場所ではないと悟る
柳 あんな風にヨーヨーできるんだなぁっていうので、ちょっと引き気味だったんですけど。
日本橋の大会って規定演技だけだったんですよ。フリースタイルってまだ無かったので。当然、例えば、ムーンサルトをやってくださいとか、何々やってくださいっていう。ブレインツイスターやってくださいとか。
第1回、第2回のジャパンチャンピオンシップは規定部門のみ。1998年夏から始まる第3回より、フリースタイル部門が開催されました。
それで、サドンデス方式でチャンピオンが残っていくっていうだけだったので。うまく行けばヨーヨー貰えるだろうと思って出たんですけど、小学生に負けるという。
それで、参加賞のヨーヨーだけを貰う。その時に、僕25歳で出て、最年長だったんですよ。名前出して大丈夫なんですかね?そのときにいらっしゃったのは、某スピンギアの有名な、あの…。
金子 あ、長谷川さんですね。
柳 長谷川さんですね。名前忘れたわけじゃないんですよ!(笑)
金子 言っていいのかなと(笑)
柳 大学4年生の、さわやかなお兄ちゃんがですね、リュック背負ってヨーヨーをしてたんですね。「君もヨーヨーやるんだね」なんて言ったのが。日本橋で会ったのが、初めてだったんですね。そのときデール・オリバーも居て、オリバーさんのヨーヨーに魅せられたりとかいうのが、思い出だったんですね。
ただ、そのとき自分が出て「なんかもう、自分の居場所じゃないんだな」ってはっきり分かったんですね。
ヨーヨーは進化していくし。規定の演技だけやっていくんじゃなくて、どんどん違う技をやっていかなきゃいけないし。25歳が出ちゃいけないヨーヨー大会なんじゃないのかなと思って。
実は、それ以降もう大きな大会は出てなくて。あの有名な1998年の4月4日のヨーヨーの日の幕張のイベントも僕は行ってて、コーラのブースにも出てヨーヨーやったりとかしてたんですけども。だけど、それでも、もうやっぱりバンダイの方の大会には出ようとは思わなかったですね。
ヨーヨーの楽しさを伝えるための普及活動に専念
金子 その後は、98年の10月にもJYAAでラッセル社のブースがあって。ケン・ラッセルがやってましたね。
柳 ケン・ラッセルがやってましたね。片手でね、左手後ろに回してこうやってね。ヨーヨーを回すあの映像は、覚えてますよ。
金子 その後っていうのは、僕も結構ずっとイベント行ってたんですけど。初めてお会いするのは2013年とか14年ですよね。僕もずっと本も見てるし、ずっとお名前も拝見してたんですけど。
イベントに行かないじゃないですか?年齢がやっぱり離れてると、居づらいっていうのはあるんですかね?
柳 そうですね。おそらく多分ヨーヨーに限らず、なんの世界でもそうなのかもしれないですけど。自分の居場所がないような雰囲気っていうのが、そもそもそうなのかなってのがありましたね。
あとはその、自分がヨーヨーで何ができるのか?って思ったときに、バンダイのイベントに出て勝ち続けてヨーヨーを手にすたりして大会をやるよりは、なんかヨーヨーをやったことを無い人にヨーヨーの楽しさを教えるとかいう方が、向いてるんじゃないかと思ったんですよ。
というのは、バンダイの大会とか出なくなったりとかで、当時、金子君の世代だから分かると思うんだけど、ヨーヨーが買いたくても買えないときが多かったじゃないですか?ちょっと不当な高い値段で売ってたりとかしたりするとか。
金子 いくらで売ってるの見たことあります?度肝を抜かれたっていうのはいくらくらいですか?
柳 万単位だったですよね。インターネットがちょっと普及してて。その頃、僕のところにも「デカ玉のファイヤーボールお持ちですか?」って突然メールが来るんですよ。「ありますよ」って言って。「いくらなら売ってくれますか?」って。
ただ僕は、値段なんか付けられないし。適性価格でいいやと思って、「いくらでも良いです、気持ちで」って言って。ヨーヨーを先に送ったら、結構な大金がうちに振り込まれてきたって言う。
金子 ちなみに、どれくらいなんですか?
柳 数十万で売ってくれって人がいました。
金子 凄っ!それ何個すか?1個ですか?
柳 1個です。
金子 1個で数十万なんですか?それなんのやつです?
柳 黄色いデカ玉のファイヤーボール。
金子 あのイエローキャップクリアの普通のやつですよね?すごい。
柳 それとあと、朱色で金色でロゴの入っている「FALL RIVER, MASS」って入ってるデカ玉のファイヤーボルですね。ファルホークが入れてたときのやつ。あれもやっぱり万単位で売ってくれって。
金子 凄い時代だ…。
柳 でも結果的に、僕はお金を手に入れても、全部ヨーヨーに使っちゃうんでね。あんま意味ないんですけどね(笑)
金子 ヨーヨーのお金なんでね、それが他の物に使ってると違うかもしれない。
柳 ヨーヨーの数が増えるだけなんで、お金のあれはいいんですけど。そんな時代だったですね。
僕はそれで、ヨーヨーを買えない人にもヨーヨーを楽しんでもらいたいと思ったんで。
当時、ハイパーヨーヨーブームの頃ってすごい、粗悪品のヨーヨーとか。それこそバンダイさんも、有名な猫のキャラクターだったりとか。
たまごっちのヨーヨーだったり、てんしっちのヨーヨー作ったりとか。
コナンのヨーヨーとかね、ありましたよね。トーナメントシェイプのヨーヨーとか。
あぁいったヨーヨーで、色んな技が出来るっていうのを見せて行きたくなって。自宅にあるヨーヨーとかでも楽しいよ。っていうのにすごく面白みを感じてたので。
それなので、色んなバンダイじゃないところのイベント、それこそ北海道から沖縄まで色んなところに声かけてもらって。ヨーヨーショーというかヨーヨーイベントに参加したんですね。ヨーヨー普及するために、ハイパーじゃなくても出来ますよっていうイベントを良くやってたんですよ。
超速スピナーとハイパードラゴン
金子 なるほど。この98年にも、ハイパードラゴンとかそういうのが出たときっていうのは、ほとんどバンダイさんのイベントには顔は出していない?
柳 出してないです。コレクションはしてたんで、ドラゴンとかも多分買ったままのドラゴンがいっぱいどっか家の中にあるんですよ。探せば出てくるんですけど。
ヘンリースのバイパーとかも、全部買ってはあるんですけど、使ってはいない。
金子 ちなみに、この98年のハイパードラゴンってすごい重要なものであって。これ多分知ってるかもしれないんですけど。
日本だと、ハイパードラゴンって、そんなに評価高くないじゃないですか。
1998年末に発売されたハイパードラゴン。競技として使用する場合、YOMEGA以外のヨーヨーは性能面で認められることが少なく、大会で使用するプレイヤーはほとんどいませんでした。
それでも、オークションでは常に高い値段をキープしてまして。1万円から5千円くらいの間で。
超速スピナーっていう漫画があるんですけど。あれが海外展開、日本では終わったんですけど。
ハイパーヨーヨーがアジアの海外展開をしていて、そのときに、ハイパードラゴンのオリジナルがないんですよね。日本で売ったバンダイさんのやつだけが本物で、海外ではそのハイパードラゴンっていうのがなくて。
ハイパードラゴンが今でも欲しくて、海外の方が来て、それを売ってくださいっていうのがあって。例えばアキバのスピンギアのお店のところだと、ショーケースのところにハイパードラゴン飾ってるんですけど。「これを売ってくれないか?」って。「いや、ゴメンこれは売り物じゃないから売れない」って言って。お断りするってのが1件2件の話じゃないくらいあって。
それぐらい、やっぱりハイパードラゴンって、海外に向けてここは結構重要なポイントなんだよっていう。
超速スピナーは、海外では現地語で翻訳され、「SUPER YOYO」という名前で放送されていました。何度も再放送されていたとのこと。
ハイパーヨーヨーブーム以降の冬の時代
金子 次が、ちょっと飛ぶんですけども。ハイパーが終わるじゃないですか。
僕らの中で、99年、2000年で終わって。2000年の10月に終わりを告げられるんですね。ハイパーヨーヨーのプロモーションが終わっちゃって。ヨーヨーが終わって。
2000年9月24日に開催された第6回ジャパンチャンピオンシップファイナルを最後に、第1期ハイパーヨーヨーのプロモーションが終了しました。
柳さんが、どうやって凌いでいたのかっていうのと同じように、僕らはまずワゴンセールに行って紐を買い込み。
で、同じようにワゴンセールにあるものを買うんですよね。ファイヤーボールとかブレインだったらいいんですけど、エックスブレインだとか、ファイヤーストームとか、最後の方に出るいまいちこう使えないようなヨーヨーとかも結構あったんですよね。そういうのは当時なんで、僕中学生とかなんで、そこまでお金に余裕もないんで、買いはしなかったんですけど。
そういう時代が僕らにもあって。2003年ぐらいがちょうど高校生くらいで、またハイパーヨーヨーやるよと。
ここで、ヨーヨーの人口は2000年が終わって、2001、2002っていうのがすごい少なくて。全国大会とかでも100人居ないかなっていう。オーディエンス入れても100人くらいかなっていうところだったんですけど。
ハイパーがあって、インターネットもISBNの回線からADSLの回線になって若干速くなって、ちょっと増えてて。ここでちょっとすると、また次にプロモーションで大きいのが。ちょっと被ってるか終わった直後なんですけど、マツイ・ゲーミングのコーラが始まる。
柳 そうなんですね。実はYouTubeで僕が話すってのは…僕は、自分がヨーヨーやってて凄いだろうって自慢話は好きじゃないんですけど。僕がマツイ・ゲーミングのヨーヨーを作るにあたって、衝撃的な出来事が起こるんですよ。
ちょうどヨーヨー冬の時代からまた、ヨーヨーを引っ張る。自分が一番ヨーヨー業界のために力を注いだ瞬間っていうのは、実はそこだったんですよ。
金子 っていう話はですね、次回行いたいと思います。いいところで切りますよ~!
柳 あぁそうですか(笑)
金子 またよろしくお願いします!