対談

長谷川貴彦×東條真樹×金子隆也対談「スピンタスティクスの話 Part.2」

スピンタスティクスの話 Part.2
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本記事では、YouTubeにアップした長谷川貴彦氏×東條真樹氏×金子隆也の対談「スピンタスティクスの話 Part.2」を、文章にまとめて掲載します!

今回は、デール・オリバー氏がヨーヨー普及に向けて考案したスピンサイエンスの活動や、1998年世界大会、第一回JYYAヨーヨーコンテストなどの大会での裏話について、紐解いていきます!

なお、前回の「スピンタスティクスの話 Part.1」では、ターミネーターヨーヨーの誕生からターミネーターオフィシャルインストラクターとしての活動をテーマに話を展開しています。

併せて、お楽しみください!

はじめに

金子 では、第2部を始めたいと思います。

【対談】長谷川貴彦×東條真樹×金子隆也【対談】長谷川貴彦×東條真樹×金子隆也

金子 ではですね、98年の5月に入社します…。

長谷川 この話、1個もしてないの残念だよね。看板ちゃんと取ってあるんですよ、当時の看板ですよ。

1998年のイベントで使用されたターミネーターの看板1998年のイベントで使用されたターミネーターの看板

東條 これのね、話があるじゃないですか。大事な話が。

金子 これ、4月4日の…アレの話ね。

長谷川 そうそうそう。これは、在学中にデザインしたパッケージ。売り場にターミネーターのトルネードとテクニックが並ぶと、ちゃんとターミネーターっていうロゴが出てきますよ。っていうパッケージです。

トルネードとテクニックを並べると完成するターミネータのロゴトルネードとテクニックを並べると完成するターミネータのロゴ

長谷川 ちなみに、ターミネーター回なんですが。衝撃の事実は、ターミネーターはバンダイの登録商標だったので、そういうカテゴリーでターミネーターっていうものを勝手に作ると、訴えられます!(笑)

ただ当時は、この三角形の中に入ってたんで。

ヨーヨーマーケット構成に助けられたターミネーターヨーヨーマーケット構成に助けられたターミネーター

長谷川 バンダイさんに「まぁまぁ」ということで許してもらってやってたんですが、その商標の関係があったので、ターミネーターってすぐ使わなくなって、スピンタスティクスに移行する時期が出てきます。

金子 なるほど。というような感じで、今日も濃厚な感じで行きますので、皆さんよろしくお願いします。

長谷川・東條 お願いします。

長谷川 喋らないと忘れるんでね。

スピンサイエンスについて

金子 先ほど言ったとおり、5月に…。

長谷川 ターミネーターオフィシャルインストラクターの長谷川です!

東條 チームスピンタっ…えー、噛んだよー!出たよー。

長谷川 噛んだよー!10回言わないいけないやつ。

スピンタスティクスを言い間違える東條氏スピンタスティクスを言い間違える東條氏

東條 チームスピンタスティクスの東條真樹です!

長谷川 マッキーって、チームに入ったのいつなの?

東條 えー、2003年。

長谷川 ディアボロ要員として?って感じだよね?スピナボロの。

東條 ディアボロ要員としてですね。あのー、キャブくんと一緒に。

金子 そうですね。まだまだスピナボロが出るまでだいぶ時間がかかりますけども。よろしくお願いします。

これ、まとめ始めて3回目くらいですけど。98年の5月に会社を辞め。ディップスに就職をし。

長谷川 いきなり世界大会行く前に、スピンサイエンスの研修と称して。アメリカにポンっと2週間くらい行きますね。

金子 6月に行くんですか?

長谷川 6月に行きます。で、そのタイミングで鈴木良一は、そのままアメリカにインしてるはず。

金子 向こうで会ったりはするんですか?

長谷川 会ってますね。野性味あふれた彼が行ったらすごく丸くなって可愛かったですね。英語喋れないのに、ポンって一人で放り込まれてね。デールの家でヨーヨー三昧という生活をしていて。

まぁ、あんまり言い過ぎるとあれかもしれないんですけど。過去の話なんで。それがあっての優勝。

金子 なるほど。スピンサイエンスっていうのは、何を学ぶんですか?デールのショーを見て?

長谷川 当時の段階で、ヨーヨーを続けていこうと思ったときに、ヨーヨーはブームが来ては終わると、散々色んな大人の人に言われていて。

ただ、やっぱり、当時、学生卒業した後で社会人1年目で子供と同じだよね。ブームが来て終わるのは分かっていたけど、まだ世の中これだけ流行ってるのに、ヨーヨーが本当になくなるの?って疑心暗鬼ではあったけど。

ただ、ヨーヨーでご飯を食べていこうって思ったときに、ヨーヨーメーカーになるっていう頭はやっぱないから。その中で、学校でヨーヨーを教えていくっていう生活の仕方があるっていうのを聞いて、これ事業化したら面白いと思って。

スピンサイエンスってデール・オリバーが考えた、学校でヨーヨーを教えて、体育の授業と物理の授業を両方学べるよ。っていうのを勉強しに行った感じですかね。やっぱヨーヨーをどうやって普及して続けていくかっていうのが、その時点で会社として方向性を見出そうというのでやった感じ。

金子 そのいろんな話を聞いていて、今でもそれは勉強になったんですか?それがあったから今があるという感じですか?

長谷川氏のスピンサイエンスで学んだ経験に興味津々の金子長谷川氏のスピンサイエンスで学んだ経験に興味津々の金子

長谷川 学校に入るために、大義名分が必要でっていうのがあって。ヨーヨーが楽しいからやろうよだけじゃなくて、ちゃんと勉強になるというのは。

あとはヨーヨーとかコマとかディアボロを使って回転の科学というのをやったんだけど。それは、実はヨーヨーの設計には初歩の初歩ですごい大事なことで。それを自然に学べたのは大きかったし。あとはパフォーマーとしてのネタ作りの中でも、科学の要素がちょっとあるだけでも全然違うし。

最終的には、当時ヨーヨーはブームだったからっていうのもあるんだけど、米村でんじろう先生と科学技術館のイベントで共演をして、NHKの番組でうっかり流れてしまうというところまでいったので。今思うと、闇歴史というか。胃が痛くてしょうがないんだけど。

金子 凄いですよね?それ。だって、別に何も知らないのに近いですよね?ヨーヨーやって1年くらいですよね?

長谷川 凄いラッキーだったのは、ヨーヨー歴1年未満から、もうすでにステージがあって。イベントがあって。パフォーマンスがあって。投げ込まれちゃってたから。

まぁまぁ恐ろしい。怖いもの知らずで、恥ずかしいよね。なんなら、子供連れて行って一緒にステージ立ってたから、それも今思うとどうなんだろうって、凄く反省してるけど。

金子 今の方が、確実にあれですよね。予習して行きますよね。行くなら、そうゆうのがあったら。

長谷川 まぁ大人になっちゃたからね。怖いもの知らずだったところもあるよね。まぁ、そういう意味では面白かったかな。知らないから何でも出来たしね。

金子 ちなみに、どこに泊まってたんですか?デールの家ですか?

長谷川 デールの家です!最高です!

金子 凄そう!

長谷川 倉庫にヨメガヨーヨーがむちゃくちゃ、エックスフレームのブレインが転がってた。「ちょうだい!」って言えばくれるっていうね、天国みたいな(笑)

デール・オリバー氏の倉庫に転がっていたと言われるXフレームブレインデール・オリバー氏の倉庫に転がっていたと言われるXフレームブレイン

長谷川 「Can I have this one?」っていうのが一番最初に覚えた英語ですね。赤ちゃんみたいですね(笑)

大学で英語はやってたけど、やっぱしゃべる英語は知らないじゃん?「Hi, How are you?」とか、そんなどうでもいいのじゃなくて、自分が言葉として発したいっていう。トイレ行きたいとか、お腹空いたよりも、ヨーヨーちょうだいっていうのを一番最初に覚えて。

東條 スピンサイエンスって、英語で聞いたりとかじゃなくて、体験してるような感じだったんですか?

スピンサイエンスの授業内容について質問する東條氏スピンサイエンスの授業内容について質問する東條氏

長谷川 基本的に、デールがセリフをばーってしゃべりながら授業をして、途中でヨーヨーをして。こうでしょとか?ディアボロをしてこうでしょ?っていう実験ショーみたいな、サイエンスショーだよね。今は、パターンが凄い広がっているけど、当時としてはかなり新しくて。そういうプログラムをやっていた。

それをまず、台本をもらってたから。台本翻訳してて、何やるかだいたい分かってて行っていて。あとは現場でヨーヨーを子供達に教えるっていうのも、言葉が通じない環境でどうやって教えるのもすごく勉強にもなったし。コロコロ転がしてキャッチさせるっていうのも、そのときに学んで未だに使わせてもらっているテクニックなんで。ベースになったのは、デールが作って来たものが大きいよね。

金子 え、長谷川さん自体の英語力って、そのときはあんまり無いんですか?

長谷川 ド底辺ですよ。皆の方がよっぽど喋れるよね。

金子 そうなんだ。俺、なんか最初からある程度できる状態で、今があるのかなくらいの感じで。

長谷川 そのあとだから、THPと一緒に韓国ツアーに言ったときも日本語が喋れる人がまともにいない環境で生活してて。なんとなく、早見優の英会話が未だに役に立つと思っているので、古本屋にあるので見てみてください。

金子 凄いバリバリできる状態なのかなっていったら、全然そんなことないんですね。

当時の長谷川氏の英語力に驚きを隠せない金子当時の長谷川氏の英語力に驚きを隠せない金子

ヨーヨー世界大会(1998年)

金子 その流れで、そのまんま世界大会に行くんですか?

長谷川 いや、一回帰ってきて。良一は放っておかれつつ、俺は帰って来て。ラスベガスの世界大会に行きます。でも、そこがね、記憶があやふやなんでパスポート見ないといけないんだど。でも、良一と一緒にフリースタイルの練習している記憶もあるから、もしかしたらデールの家に先乗りしてから、ラスベガス一緒に行ってるかもしれない。ただ。一回日本には帰って来てる。

東條 世界大会は、出てたんですか?

長谷川 出てます!そのときに、斜めでヨーヨーをやるっていうルーティンを自分の中で作ってたんで、そこで発表していたら、歴史は変わった!負け犬のセリフ…。

世界大会でヨーヨーを斜めに投げるルーティンを披露できなかったことを悔しがる長谷川氏世界大会でヨーヨーを斜めに投げるルーティンを披露できなかったことを悔しがる長谷川氏

金子 なるほど。ちなみにそのとき、ベンマクフィーが横で投げてますよね。

長谷川 ベンマクフィーが5位で。ベンマクフィーと一緒に遊んでます。

そのときも、結局ね。バンダイの人に全力で怒られて。無責任だ。と、子供を連れて行くなと。今思えば、真っ当な大人の凄く当たり前なことを言われて。英語が喋れない俺と加藤さんが子どもたちを連れて行くのは危ないと。そりゃそうだと。

金子 確かに。だって、英語全然出来ないって言いましたもんね?

そのときは、IJAと同じホテルでやってるけど、別会場でやってるんですよね?

長谷川 その前の年の中村名人がマスター部門で優勝しているとか、95年、94年くらいからIJAと共催をしてて。そのとき同じ会場で同じ枠組みの中でヨーヨー大会が、ジャグリングの一個のコンテンツとしてあったという認識でいいと思うんだけど。IJAの昔のビデオを見たら、ヨーヨーも普通にパートとして紹介されているから。

金子 96年のIJAのハイライトのビデオに、今は多分もう販売終了したと思うんですけど。デール・マイヤバーグが優勝したときのやつがやってたりとか。

長谷川 あとは、ランニングのヨーヨーとかも出てたりするでしょ。

金子 そうですね。他にもあとNHKとか。NHKじゃないかな?なんか昼のワイドショーのなんかのあれとか見ると、横でクラブパスやってる映像とかと一緒に映ってますよね。

長谷川 当時ラスベガスの一部屋がヨーヨーとなっていて。ただ、もうそのときでもうヨーヨーブームが来ていて、アメリカでも。

ジャグリングの人からすると、子供ばっかいて、ウザいっていう。違うじゃん?バンダイ系とかいう前に、違うものとして。

ジャグリングに上手く解き込めないっていう。ジャグリングの世界は比較的、大人の世界だったのに対して、ルール知らない子供がわーって来ちゃうから。そうなるよね。

金子 世界大会のときって、映像を見ると、ちょっと回が変わってくるんだったりもするんですけど。聞きたいのが、THPとちょっといるくらいしか分からないんですよね。それなりに、スティーブ・ブラウンが居たり。ベンマクフィーが居たり。プロヨーが居たり。業界の、今の方々は分かるんですけど。

長谷川 歴史に出てない人としては、加藤さんとエイちゃんとマッキーが居ますね。

金子 日本人は3人くらいと、海外の子は結構いるもんなんですか?全体でヨーヨーで何人くらいいるもんなんですか?

長谷川 100人くらい居たんじゃない?チーム部門があったか、ないかで言ったらないんだけど、チームが何チームが来てたよね。あの紫色のFunz-A-Poppin’(ファンザポッピン)とか。あとは、カイトのところをやってた…のちにハイパーバイパーで出てきた人たちなどが来てたりってイメージがあるから。まぁまぁ盛り上がっていたかなと。

金子 有名な方でいうと、日本人のピノキオの小野さんが行かれてますよね?

長谷川 あー、そうか。行って会ってるっけ。俺。

金子 小野さんも、結構インタビューされてる映像があります。

長谷川 ラスベガスで?記憶があやふやだわ。

金子 ちょっと、まだボケないでください。聞かないといけない事がいっぱいあるんで(笑)

予選落ちをされるということなんですけど、規定ですかね?当時だと。

長谷川 規定です。ハワイも規定です。

金子 何をミスったんですか?

長谷川 いやぁ、何をミスったかも覚えてないくらい、どうしようもないミスり方をして…ブレインツイスターとか、そんなんじゃないかな。

東條 フリースタイル部門の、規定の予選ですか?

長谷川 そうそうそうそう。

金子 当時はね、規定→フリースタイルですからね。98年も固定縛りですか?

長谷川 はい、固定縛りです。ハワイも固定縛りです。

金子 そっか(笑)ヨーヨーやってた、やっぱこれが出来なきゃいけないっていうのがあれなんですかね?

長谷川 どうなんだろうね?当時のルール作る側にいないから分からないけど。当時は、それが普通な流れな気もしたけどね。フリースタイルがまだ完成していないから、フリースタイルで順位付けるってのが難しかったんじゃないのかな。俺らも、ルールを分からないまま出てたからね、よく。

昔の世界大会予選は規定トリックで、固定軸のヨーヨーのみ使用可能でした。その後、ベアリングのヨーヨーも使用可能になって、現在は予選もフリースタイルの演技となっています。

金子 世界大会終わって、集結するわけじゃないですか。世界のトップの名だたる方達が集結して。

長谷川 ラスベガスでってこと?

金子 そうです。終わって日本に帰ってきます。

第一回JYYAヨーヨーコンテスト

金子 それから、次の大きなイベントまで、それなりに時間があると思うんですけど。

98年の9月に第一回JYYAがありますよね。JYYA単発のイベントになりますよね。さっきの4月4日はハイパーヨーヨーの中のイベントだったと思うんですけど。それまでのあいだでモチベーションもだいぶ上がってるんですか?

「これからもっと日本で頑張っていきたい」みたいな。修行もして、世界大会も終えて。

長谷川 ターミネーター回だけど…まぁいいや(笑)

当時のそれは、もちろんもちろん。2015年までは、モチベーショントップで走り切ってるからね、ずーっとだよね。大会で予選落ちしたのは残念だったけど。

そこでまた、海外の人と直接いろんな話をするとか。マッキーが英語を喋れないのに、「Challenge!」っていう一言だけで、ベンとエンと張り合うとか。そういう、アフターコンテストの楽しみみたいなのを見つけちゃってるから。

アフターコンテストの楽しみが今ないのは、とっても残念だけどね。大会が終わってグダグダになって夜中までずっとヨーヨーして。どうでもいいテンションになってっていうのが。お酒も何もなくても、ただヨーヨーがあれば楽しかった時期だから。

金子 APが、比較的まだそんな感じですよね?

長谷川 そうだね。引き早いけどね。昔はホテルがあったからね、朝まで遊んでたけど。そういうのはあったね。

それを日本でもやりたいなぁとか、広めたいなぁっていうのがあったし。ターミネーターオフィシャルインストラクターとして、ここら辺は、その時期にちょうど発売してたはずだから。98年とか99年くらいに。

当時販売されていたタイガーシャークとトーチ当時販売されていたタイガーシャークとトーチ

金子 98年の9月に第一回JYYAの優勝で、ユウくんがこのタイガーシャークを使うと思うんですけれども。ここら辺で一回締めておかないと。また長くなりますんで。

長谷川 川田祐と初めて会ったのは、横浜の認定店でした。

川田祐氏のフリースタイルについて語る長谷川氏川田祐氏のフリースタイルについて語る長谷川氏

金子 それでは、また次回お楽しみに!

次回もお楽しみに!次回もお楽しみに!
スピンタスティクスの話 Part.3
長谷川貴彦×東條真樹×金子隆也対談「スピンタスティクスの話 Part.3」現代ヨーヨーの礎を築いたスピンタスティクス。当時、前身のターミネーターオフィシャルインストラクターであり、現在はヨーヨーマスターとして活動している長谷川貴彦氏とともに、スピンタスティクスの歴史を紐解きます。...

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