本記事では、YouTubeにアップした長谷川貴彦氏×東條真樹氏×金子隆也の対談「スピンタスティクスの話 Part.1」を、文章にまとめて掲載します!
今回は、ハイパーヨーヨーブームの頃にも販売されていたターミネーターのヨーヨーや、ターミネーターオフィシャルインストラクターとしての活動について、紐解いていきます!
ぜひ、お楽しみください!
2002/2005/2011年AP部門世界チャンピオン。
1999年に、世界で初めて2つのヨーヨーを1つの手で操る最高難度の技「ソロハム」を完成させた。世界大会では、2000年よりコーディネーター、ジャッジとしても活躍。
日本での活動実績が認められ、2003年にアメリカ人以外では初のヨーヨー界に対する功労者に贈られるヨーヨーマスターアワードを受賞。
プロインストラクター、パフォーマーとしてヨーヨー輸入会社を立ち上げ、活動中。ヨーヨーのプロとして見せるだけではなく、インストラクターとしてヨーヨーを誰でもできるものとして普及することに特に力を注ぐ。今までに1万人以上にヨーヨーを教えた実績を持つ。
ヨーヨーのオンラインショップ「スピンギア」の店長としてショップ運営を行っています。
はじめに
金子隆也(以下、金子) ヨーヨーマニアックスです!ヨーヨープロフェッショナル、金子隆也です!
今日はですね、「初めて買った海外版のヨーヨーって、なんなの?」っていう質問に対して、スピンタスティクスというのがすごく良く出てくるので、今日はスピンタクていうのを…。
長谷川貴彦(以下、長谷川) でた!
東條真樹(以下、東條) でた!
長谷川 でもね、それあるんだよ。
東條 絶対カット許さないからね~。これね~。
長谷川 このままで行きますからね!
東條 是非載せていただいて!
長谷川 スピンタクティックス派がいてね。タクティックスじゃありません。「ファンタスティック」と「スピン」の合成用語で、スピンタスティクスです!
金子 今日は、スピンタスティクスをテーマに、色々頑張って行きたいと思います。よろしくお願いします!
長谷川 お願いしまーす!
東條 お願いしまーす!
金子 ではですね、何でこの二人が居るかというと。スピンタスティクスオフィシャルインストラクターの長谷川さんと…。
長谷川 残念ながら、僕、「ターミネーター」オフィシャルインストラクターなんだけど。スピンタスティクス以前に…。
東條 切らない、切らない(笑)
長谷川 大事、大事!ターミネーターオフィシャルインストラクターです。
金子 はい、そして、チームスピンタスティクスの東條真樹くんをゲストに、話を進めて行きたいと思います。
全員 よろしくお願いします。
スピンタスティクス創業者「デール・オリバー氏」について
金子 ではですね、まず最初。ターミーネーターの当時出ていたヨーヨーがあると思うんですけど。いつぐらいに販売されたよ。とか、どんなふうに使われていったよ。とか、どういうところで売ってたよ。とか、そういった話を聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。
長谷川 パッケージの後ろに書いてあるか…。
金子 お、トルネード。
長谷川 “デール・オリバー氏が最初にヨーヨーの世界に登場したのは、彼が12歳のとき、カンザス州での大会でした。”
長谷川 12歳のときに、もう既にダンカンに連れ回されてプロになるという生活を始めてしまい。そこからはもう、ひたすらダンカンのヨーヨープロモーションで。アメリカ中に留まらず、南米も含めて連れ回されていくという生活をしてて。
一時期、ヨーヨーが嫌になって、シアトルの料理屋さんコックさんをしているという時期も経て。満を辞してヨーヨーの世界に戻ってきたんですが。
最初は、プロヨーを売って歩くデモンストレーターをやってて。
長谷川 このプロヨーというのは、知ってのとおり、ダンカンの創業者「ドナルド・F・ダンカン」さんが作った会社でやってたんだけども。このプロヨーが色々気に食わない。もっと、こうした方がいいんじゃないかっていう意見があって。
プロヨーの改良版「ターミネーター」
長谷川 それを取り入れて作ったのが、ターミネーター。
長谷川 1995年の9月に発売されてます。主な改良は、プロヨーは丸いボディーだけだったボディに対して、コントロールエッジという概念を作って。
長谷川 ルーピングがコントロールしやすい、真っ直ぐ引きやすいっていうことをやったのと、開けられるというのもとても大事です。
長谷川 今のヨーヨー基本になっていますが、金のアクセルで開けられるということで、ルーピングの柔らかいフィーリングと、しっかり開けられるというのが出てきてっていうのがあって。
それと、一年後くらいに、トルネードというベアリング内蔵機種。
長谷川 これも今思うと、誰もやっていないのですが、スペーサーを落とさないようにOリングが入ってるっていう。
長谷川 子供にヨーヨーを売っていたデールさんらしい構造のヨーヨーっていうのがあって、それがアメリカで売られていました。
ただ、日本に入ってきたのは、ハイパーヨーヨーのブームが始まった97年の、ちょっと前。96年くらいからテストマーケットとして入ってきてて。
当時のディップスという会社が輸入代理品になって。ハイパーヨーヨーはおもちゃやさんで売られてるんだけど、ディップスはおもちゃやさんの流通ルートだけじゃなくて。それ以外の雑貨屋さんとか、ハンズとかLOFT的な感じのそういうところで売られていたかなぁという印象です。
金子 なるほど。
柳さんの回でも言ってたのが。当時やられてた人って、アクセルが木であることが結構重要だと思っていて。それが、デール・オリバーのこだわりだと思うんですけど…。やっぱそこからできたんですよね?これきっと。木のアクセルにするって。
長谷川 ファイヤーボールが、プラスティックのアクセルを採用したのが最初で。そのとき、それは一般的じゃないし、そもそも特許だったので。他の選択肢という金属固定軸みたいになっちゃうと、プロヨーの木のフィーリングっていうのはみんな好きだったから。
ベアリングのヨーヨー自体も、ほとんどなかったから。どちらかというと、ベアリング入れると戻ってこないというヨーヨーのイメージなので。ルーピングやりたい人からというと、使いにくいヨーヨーになっているから。そうそう。そういう意味で、木のフィーリングはとっても大事だと思います。
ディスクスターとスターバースト
金子 デールとしてのこだわりは、ディスクスターのものとスターのものがあるんですけど。これも、どうして2種類あるんですか?
長谷川 ディスクスターが出てきたのは、98年か99年くらいで。もうヨーヨーがブームになってからで。初期は、スターのトルネードも存在していて。
金子 初期にスターだったんですか?
長谷川 はい。ソリッドカラーのトルネードとか、初期のロットでちょっとだけ国内に入ってきたのはみんなスターで。
長谷川 結局、ターミネーターのテクニックと同じ金型を使ってたんだけど。途中からディスクになって。
長谷川 デール・オリバー曰く、ディスクスターの方が戻りがいい、接触面積が多い。
金子 改良版なんですね!?俺らのイメージでは、逆なんですよね。
長谷川 スターは、数的に出まくったから、そういうイメージなんだけど。
あと、グローもスターバーストだったじゃない?
長谷川 初期のターミネーターのトルネードは、全部スターだったので。そっちを、僕は好んで使っていました。デールに何回も言ったんだけど、こっちの方がいいって。
当時、レイダーもそうだったんだけど。オイルがないと戻ってこないという。トルネード巻きっていう巻き方も考えられるくらい、やっぱり投げて戻ってこないという。特に、投げ方が出来てない子は使えなくなっちゃったから。不思議な理由で。
タイガーシャークもディスクじゃなくて、スターだったら多分歴史が変わってたくらい、使いやすいヨーヨーで。
だから、昔のブログでもちょくちょく書いてたんだけど、初期のプロトタイプで貰った、パープルのスターバーストのタイガーシャークというものをずーっと使っていて。オフィシャルインストラクターを名乗っていながら、販売しているヨーヨーを使っていないという。
当時のTHPもね、みんな改造していたんだけど。それに近いことをやっておりました。だからディスクは、そういう意味では改良版として出した。まぁ最終的には、デールも諦めたからスターに戻ったよね、ブームが終わってから。
金子 じゃあ97年のその売られていたとき、一番ピークくらいのときは、ほとんどディスクスターだったんじゃないですか?
長谷川 トルネードに関しては、そうですね。
タイガーシャーク
金子 99年くらいのときに、スターバージョンのタイガーシャークが出るわけじゃないですか?マンタレイとして出ると思うんですけど。
金子 そのときっていうのはもう…。
長谷川 2000年じゃない?それ。
金子 ロンゴリアが使ってるの、マンタレイのそれを使っているというから。98年のときと99年のときっていうのは、海外ではあったっていう話をしてて。
長谷川 海外ではあったね。結局、何が起きたかというと。国内で97年からヨーヨーブームがあって。ディップスが一番輸入したのが、98年の5月くらいのゴールデンウィーク直前くらい。ばーっと在庫が来て。
そのときにヨーヨーが流行りすぎて、ワイドショーで類似品が出回っていますみたいな話になって。ターミネーターが、なぜか類似品として出てしまって。それで風評被害を被り、問屋から大量キャンセルを食らい。シャレにならない事件がありまして。そのときは、すぐにワイドショーに電話して「訂正してください」と言って、訂正してもらったけど。ちょっとタイミングが遅くて、もう…。っていうような出来事もあったんだけども。
金子 その風評被害のせいで、かなり食らうんですか?
長谷川 風評被害もそうだし、ハイパーヨーヨー自体の売上のピークも、もうその時点で終わってて。子供だったから、みんな知らなくて。
実はハイパーヨーヨーって、98年の5月にはブーム終わってて。その後に、無理やりミラージュとかバイパーとか出してるんだけど。最終的にはみんな値下げして、投げ売られていたよね。だからハイパーバイパー、ヨドバシで2,000円だかなんだか…。
金子 1,400円、ビックカメラですね。
長谷川 あったよね、そう買占めに行くとかね。一生分のバイパー買って。どうするんだろうと思って。
金子 それは、ヘンリース回っていうのをやろうと思っているので、是非それを楽しみに。
長谷川 ハイパーヨーヨーの闇ですね。
そういう、大人の諸々を全部まとめこむために、このJYYAというものがあってね。
長谷川 バンダイはハイパーヨーヨー でヨメガ、ダンカン、プレイマックスで。ディップスがターミネーターで。ファルホークっていう帝人の元子会社ですね、もう無いですが。トムクーンとヨメガのレイダーを売るっていう。謎の組合みたいなのがあって。
金子 これは、仲良くしよう協定ですよね?要は。
長谷川 仲良くしよう協定ではなくて。ハイパーヨーヨーを仕掛けたアラン・ナガオさんが、96年の時点で作っていたビジネスプランの中に、ヨメガ、ダンカンはバンダイに任せるけど。ターミネーターとか、まぁまぁ大きい他のブランドは、他の会社も使って競争させて「健全なヨーヨー市場を作りましょう」という名目の元に、選ばれたブランドだけでやりましょうっていう。そのかわり、これ以外は類似品というか。ほかの物として扱うという。
金子 ここにいたら、まぁなんかこう「大丈夫だよ」じゃないけど。そういう協定をできるようになってたってことですよね。それが、ビジネスプランだったっていうことですよね?
長谷川 アラン・ナガオさんが描いた絵に載っている人は、その中で商売をしていたという。それに入っていないところで、まぁまぁインパクトがあったのは、ターミネーター回に言う話ではないかもしれないけども。スクリューボールを出していたアービートイ。
長谷川 そこらへんがここに入ってなかったんで、TOMYから発売されるということになって。
そのスクリューボールミニの監修を、俺がするという。
長谷川 ターミネーターオフィシャルインストラクターの時代と若干被ってるから、今思うとちょっとグレーなんだけど。そういうこともあったりして。
スクリューボールミニのデザインに関わったときの経験が、「66%」というスピンギア発のヨーヨーブランドで活かされています。
長谷川 ただ、デール・オリバーと、最終的にスクリューボールミニを作ったアービートイの会社は、一緒に作って。
長谷川 ブラックマンバっていう機種に、スクリューボールから来てるから。最終的にはターミネーターに合流してるんだけど。
金子 スクリューボールのあれ、なんだっけ…ブラックマンバの前は、スクリューボールなんですね?
長谷川 そうです。だから機構が同じでしょう?あの三角形、三角形というか、ベンツマークみたいに広がっている。
金子 なるほど、なるほど。ちなみにこれ、あれは書いてないですよね?トムクーンは書いてないですよね?
長谷川 トムクーンは書いてある。ファルコンがトムクーンを扱ってたから。むしろ、BCが入っていないよね。
金子 BCがないんだ。
長谷川 マーケット構成。これ結構ね、罪深いって言うとあれだけど。奥が深いです。子供達が知らない、ヨーヨーの世界の話になりますね。
金子 この紙はレアですね。
長谷川 JYYAのイベントっていうのは、そういう意味では、俺らは本物。それ以外は類似品。偽物とは言わないんですよ。やっぱその「ブームを作ってそこにお金を投資して、ヨーヨーを発展させていこう」という意識がある会社だよっていう見せ方をして。そうじゃないところは違うよって。倒そうとしたけども。
結局、ブームのときに営業力と販売力を持っている会社がポンってヨーヨーを出してしまうと、こういうみんなも知っているトルネードとかブリザードっていうね。
長谷川 タイフーンもありましたね。これはターミネーターと一切関係ないんですけど、機構が全く同じっていう。
長谷川 ただ残念ながら、出来がまぁまぁ良かったんで。相当数出回って、下手したらターミネーターと同じくらいの数売れてたかもしれないっていうくらい。出回っていたこういった類似品みたいなのも、当時あったね。
金子 コレクターだから、こういうのもちゃんと持ってるんですよね?
長谷川 そこら辺は。当時、流通を信じてなかったので。問屋さんに毎週行って他ので。日暮里の駄菓子問屋さん行って、顔見知りになって。「今週なに入ってる?」っていう会話をしてる。
で、個人が買う量じゃない量を買って。大容量に集めて。当時から、大容量はこれ歴史に名前を残さないだろうから、集める人が集めないと無理だと思って。しかも、行くたびに新しいのが出てて、辛かった大学生時代だね、あれは。社会人としても。
金子 永遠に増えてくやつですね。
長谷川 安いから永遠と増えていく。
金子 ちなみにメッキバージョンとかもありますね。金とか銀とか。
金子 そんなのもあって。僕ら、そういうのも集めているんで。
ターミネーターオフィシャルインストラクターとしての活動について
金子 それが終わって、98年の4月にそれが発足されるじゃないですか。98年の9月に、第一回JYYAっていうイベントがありましたよね。そこで、デモンストレーションされてますよね?
長谷川 98年の時点でデモンストレーション、やってる…よね?
東條 やってますね。
長谷川 その時点で、ターミネーターオフィシャルインストラクターという肩書きを作ってて。なんでインストラクターにしたかというと。ヨーヨーの技術で、ご飯を食べてく自信も気力も無く、パフォーマーにもなっていないから、教えるっていう部分では自信を持ってたかなぁっと思ったから。
みんなの目標になるお兄さん的な位置づけで行こうっていうので、ヨーヨープロとかパフォーマーっていう位置づけじゃなくて、インストラクターっていう肩書きを自分で作って。そこで、デモンストレーションをしてますが。
長谷川 今思うと、恐ろしいですね。このターミネーターの白いTシャツを着て、メガネをかけた状態でステージに立つっていう。ヨーヨーが、かっこいいとは見えない格好をしつつ。
金子 ちなみにこのときは、もうスピンギアの…今の、そろはむの前の会社で働かれてるんですか?
長谷川 ディップスで、大学生の状態でアルバイトで入っていますね。
金子 97年の、いつからですか?
長谷川 97年の8月で、鈴鹿のF1が終わった10月くらいから手伝いだしているので、そのときは大学4年生でアルバイト。で、4月1日から別の会社で働きつつ…。
金子 あ、一回終わるんですね、ちゃんとそこで。
長谷川 でも、3月31日まではディップスにいたから。終わった感じがしないまま、次の会社入って。
長谷川 しかも、ゴールデンウィーク中はディップスでやってた、ターミネーターの本(スピナーズハンドブック)に出てくるイベントも手伝ってて。
長谷川 新しい会社の同僚にも出会い、気まずい思いもしつつ。
金子 4月4日のイベントのときは、新社会人3日目くらいで手伝ってたんですか?
長谷川 うん。行ってる、行ってる。
金子 もう、早速有給使ってるくらいの雰囲気ですけど。いや違う、土日かあれ?
長谷川 土日だから、そのときは普通に休みだったね。これ99年?
金子 98年っすね。
長谷川 これがね、4万人集まったって言われているヨーヨーの。
金子 そっちのですか、これ4月4日の方ですか?
長谷川 4月4日ですね。
金子 98年の4月4日ですね。社会人4日目ですね。
長谷川 写真もあるから、あとで社会人4日目の見てもらえたらと思って。これね(手に持ってる4月4日のイベント写真)。朝日新聞の一面に載って。当時はね、写真の一面に載るとお金を払えば引き伸ばしてくれる、写真のサービスがあって。今もあるのか知らないけど、ちゃんと後ろに朝日新聞と書いてあります。
長谷川 結構、歴史的なオフストリングをビハインドバックでやるっていう。未だに、このときに習ったやり方で、コマもディアボロもヨーヨーも全部使えるから、偉大だよね。
金子 で、4日目になるじゃないですか?いつ辞めるんですか?
長谷川 その話?個人の話?(笑)
金子 いや、インストラクターになって、覚悟決めるわけじゃないですか?(笑)
長谷川 そのときに新人研修で入ってたのは、44CRASHを一番最初にやってた、club asiaのビルなんですよ。もっというと、その前にメダルゲームの全国大会というのがあって、大学時代に。そこで、どこかのお店の代表で出てるんだよね。
だから、ずっとそこには何か縁がありつつなんだろうけど。5月の中旬で(会社を)辞めています。なので、一ヶ月半でディップスに入りました。
金子 5月病ってやつですね?(笑)
長谷川 いや、と思うけど。在学中から、こんな本に関わらせてもらう機会とかも持ってたり。
金子 これは、学生時代に書いた本なんですか?
長谷川 そうですね、今思うとそういうことですね。ちなみに、卒論もヨーヨーにしたという。酷い卒論だったんで。卒論の引き延ばしが、この本(Yo-Yo!裏技テクニック)になっています。
金子 レアですね。
長谷川 アマゾンで変な値段で買えます。ちょっと高いです。
長谷川 ちゃんととってあるんですよ、当時のパネルをね。もう、うちはゴミだらけ。
金子 じゃあ、ゴールデンウィークに終わって。会社をやめて。ディップス生活が始まるわけですね、ここから。
長谷川 はい。まぁ、1ヶ月半だけ歌舞伎町と渋谷で働いているっていう、なんかイメージがあるかと思うんだけど、寄り道をしただけだね、ちょっと。そのあいだは毎週末、ヨーヨーのイベント出てるから。何も変わらずターミネーターひと筋でした。
金子 なるほど。ではですね、第2部では98年の世界大会にいこうと思います!