本記事では、YouTubeにアップした長谷川貴彦氏×東條真樹氏×金子隆也の対談「スピンタスティクスの話 Part.3」を、文章にまとめて掲載します!
今回は、前回に引き続き、第一回JYYAヨーヨーコンテストの裏話からスタート!
そのほかに、ディップスがターミネーターのヨーヨーを扱うきっかけになった話や、スピントップとディアボロの話。さらには、当時の1A界の勢力図を書き換えた、超強力なライバルであるSuperYo!のレネゲイドも登場!
当時のヨーヨー業界の裏話を、ターミネーターオフィシャルインストラクターであり、現在はヨーヨーマスターとして活動されている長谷川氏とともに、紐解いていきます!
「スピンタスティクスの話 Part.1」のテーマは、ターミネーターヨーヨーの誕生からターミネーターオフィシャルインストラクターとしての活動について。
「スピンタスティクスの話 Part.2」のテーマは、デール・オリバー氏がヨーヨー普及に向けて考案したスピンサイエンスの活動や、1998年世界大会、第一回JYYAヨーヨーコンテストなどの大会での裏話について、紐解いています!
併せて、お楽しみください!
2002/2005/2011年AP部門世界チャンピオン。
1999年に、世界で初めて2つのヨーヨーを1つの手で操る最高難度の技「ソロハム」を完成させた。世界大会では、2000年よりコーディネーター、ジャッジとしても活躍。
日本での活動実績が認められ、2003年にアメリカ人以外では初のヨーヨー界に対する功労者に贈られるヨーヨーマスターアワードを受賞。
プロインストラクター、パフォーマーとしてヨーヨー輸入会社を立ち上げ、活動中。ヨーヨーのプロとして見せるだけではなく、インストラクターとしてヨーヨーを誰でもできるものとして普及することに特に力を注ぐ。今までに1万人以上にヨーヨーを教えた実績を持つ。
ヨーヨーのオンラインショップ「スピンギア」の店長としてショップ運営を行っています。
はじめに
金子 今日はですね、1998年に行われた第一回JYYAの話からスタートしていきたいと思います!
長谷川 ここに写真があるので、写真を見ながら喋ります。
金子 ちゃんと取ってあるんですね。
第一回JYYAヨーヨーコンテストの話
長谷川 98年のね。あ!このときは、鉛筆でジャッジした最後かもしれない。あ、違う!クリッカーが出た最初かな?はっきり…あー、違う。鉛筆でジャッジしてるな、多分。
金子 そんな感じのことを、ビデオで言ってたような気がする。
長谷川 A4の紙で、真ん中ピーって引いて。マイナスとプラスでやるっていう。
東條 チョンチョンやって行くんですか?
長谷川 チョンチョンです。プラスとマイナスを。当時のフリースタイルのルールもあるんで、それ見たら分かるんだけど。方向変えたら点が入るとか、技一個で点が入るとか。比較的、明文化はしようという努力はあって。
長谷川 でも、凄いよね。最初のヨーヨーの日はハイパーヨーヨーのイベントだったし、ヨーヨーが品薄だったから4万人集まって。これでも、1万人来たっていう。メッセの一会場使ってね。スカスカだったよね。これって、当時の写真ですよね?
金子 ちなみにこれ、98年の10月にもやるじゃないですか?月末に。第3回ジャパンチャンピオンシップのファイナル。幕張でまたやってるんですけど。2ヶ月連続で、ヨーヨーのイベントやってるってことですよね?
長谷川 それくらい、お金が。当時は、プロモーションで使えててっていうのと、落ち込む売上を見せないっていうのが多分、その…。当時、そこまで内部の人じゃないからハッキリ言えないけど。っていうのはあったと思うし。うちは在庫抱えてヤバいから、イベントがあったら出てくっていう出方だよね~。
東條 このイベントは、実は僕行ってないです。なぜ行ってないかっていうと、何にも情報が無かったんですよね。
長谷川 そうだね。JYYAがいきなり始まった感じだから、コロコロコミックの小さな情報を見逃してると、多分。
東條 確かに、小さな数センチくらいのところに「やるよ。」とは書いてあったんですけど。そんなに大きいイベントだとは思わなくて。
金子 左端のところにちょこっと載ってるくらいだったよね。
東條 そのときに、バイパー?がもうあるって話だよね。
金子 このイベントのときに、先行販売で色々なヨーヨーがあったよっていう話がちらほら出てたり。
長谷川 ほら!「JYYAコンテストレポートin幕張」ってこれ書いてるよ。しかも、当時の海外出張報告の記録もありますね。出た!ヨーヨーマニアです。全部の文章取ってあるって、やばいね、これ。
長谷川 これさぁ、FIENDっていうヨーヨーマガジンに寄稿した原文だと思うんだけど。
金子 ベルベットロールが最初に載ったと言われるやつですね?
長谷川 ごめん。1万人って言ったけど、「2,500人以上のスピナーが訪れた」って書いてある。
金子・東條 全然来てない !(笑)4分の1だ!(笑)
長谷川 発表は1万人だったと思うんだよね。実際に2,500人は居たよっていう。ただ、あの会場があまりに馬鹿でかいから…
金子 4万人いたのに、2,500人ってやばくないですか?10分の1?
長谷川 でも、4万人のうちの3万5,000人は、当時手に入らなかったヨーヨーとレイダーを買いに来て帰ったお客さんだから、会場には滞在してないんだよね。
それ実は、大森ベルポートの第一回のJCSと同じで。あれも1万人以上集まったって言われて、ビルの周り4周したって言われてるんだけど。実は、ヨーヨー買って、みんな帰るっていう。
ブームのときから人数多いように見えるけど、ほとんどの人は、たまごっちの延長で。欲しいだけで、競技に来てないよね。人数は多いんだけど、実はちょっと少し寂しいあれもあった。
関係ないけど、大森ベルポート、未だにCMとかに登場するからさ。消臭剤かなんかの今流れているCMも、大森ベルポートの会場。どうでもいいです。ヨーヨーの始まりの地なので。
金子 俺も一回、イベント、コンペティションみたいのがあって。なんか見せる商談会みたいのときに、あそこでやらせてもらって。なんか、凄い場所で出来るんだなっていうのが、俺の中で思い出。
長谷川 ターミネーター、俺全部書いてる。あとで上手くスキャンして。
東條 スキャンしていいんですか、これ!?
金子 ちなみに、こういうやつ全部消えましたよね?長谷川さんのブログと共に。
長谷川 ヨーヨー友の会はとってあるんだけど。ヨー友のバックアップは、ジオシティーズのはとってあるんだけど。その先にバックアップしてあったブログは、無いから。ちょっと、うん。資料としては減っちゃったね。
金子 2003年くらいからは、ないということですか?
東條 ジオシティーズが2003年くらいまでかな?
金子 まぁまぁ、多少は当時のことは、まだ取ってあると。
長谷川 とってあるし、まぁ。昔のパソコンは盗まれたんだよな…。うちの家に泥棒入ったやつ、どうにかしてくれよっていう。パソコンだけ盗まれてね、ヨーヨーは一個も盗まれないっていう、衝撃な事実。ヨーヨーの方が高いのに。
ターミネーターヨーヨーについて
金子 JYYAの辺りに、このタイガーシャークとトーチがあるってことですか?
長谷川 発売日書いてあるから、一応見てみよう。
金子 タイガーシャークは、いつ出たんですか?
長谷川 98年の3月に発売って言ってて。でも、日本に入ってきたのは、第1回のJYAAのときじゃなくて4月4日のときに出たよね?オリバーズロケットやってるから。だから、アメリカの発売と同時期に出てるよね。
東條 ハイパーレイダーよりも先に、多分出てましたよね。これ。流通してましたよね?
長谷川 トルネードはそうだね。ベアリングのヨーヨーとしては、テクニックとトルネードは同時期に出てるはずなので。で、初期バージョンはスターバーストで、そのやつは俺がデザインするパッケージになって。アメリカ版の黄色いパッケージだったり。
長谷川 簡易パッケージだったり。
金子 色んなバージョンがありますよね、いくつかね。第一回JYYAのときに、ユウ君がタイガーシャークを使って優勝しますよね。そのときは、ディスクスターってことですよね、おそらく。使っているのは。
長谷川 それは、本人に聞いた方がいいけど。俺は、スターバーストのタイガーシャーク持ってたし。もしかしたら、ユウ君はどうだろうね?確認してください。
川田氏に確認したところ、レイダーを使用していたとのことでした。理由として、当時はストリングトリックだけでなく、ルーピングトリックもした方が良いルールだったからとのこと。
金子 ユウ君が、早い段階で手袋使ってますよね。
長谷川 手袋はもう、かなり初期から使ってるね。ヨータクシーとか呼ばれてたもんね。それも、ユウ君回でやった方がいいと思うけど。
金子 ヨー手袋ですか?
長谷川 ヨー手袋か、そうかタクシーじゃない、ヨー手袋。
ターミネーターとディップスの関係性
金子 このあと、かなり薄れますよね、相当。もうここで、ヨーヨーこのあと出ないじゃないですか?ターミネーターのヨーヨー自体が。日本の流通には、もう止まってしまうじゃないですか。
長谷川 ここらへん(テクニックとトルネード)が1万個、2万個くらいの在庫と。
長谷川 これ(タイガーシャーク)が5千個かな。トーチが3千個とかだと思うんだけど。卒業した瞬間に、3億円分くらいの在庫渡されて、「これ売れ」って言われて。あぁ、って言う。
金子 凄いなぁ!(笑)
長谷川 と、いうところから始まったヨーヨー人生なんで。それが無くなるのに20年以上かかって、最終的にね。
金子 じゃあ、ヨーヨー部署ができたような感じですね?居場所ができたような感じ?
長谷川 卒業したタイミングでは、ディップスっていう会社は元々F1のグッズを作って売ってたり。紅茶やってたり。輸入雑貨でなにかしらっていう会社だったんで。貿易屋さんだよね。
なんで、ディップスがターミネーターを取り扱えたかっていうのも、ハワイ人脈ってのがあって。当時の社長がハワイにいた時期もあって。そこで作った人脈の中の一つが、アラン・ナガオさん経由っていうのがあったんだけども。
なんでヨーヨーにたどり着いたかというのは、ハワイのアラン・ナガオさんの知り合いの人が、F1のチケットを手配してくれとかっていう、そんな話があって。それでヨーヨーを今、日本で仕掛けようとしてるんだけど、興味ある?みたいなところから。ターミネーターはじゃあ、ディップスでやりましょうっていう話を、今思い出した!喋るの大事ね。
金子 そこからじゃあ、ターミネーターが始まって?俺、あれだと思った。デールとハワイで会ってるのかと思ったら、デールじゃないんですね。アラン・ナガオさんなんですね!
長谷川 全部アラン・ナガオさんのビジネスプランに基づいて、みんな行動してますね。
金子 やっぱり在庫を割けなかったから、いまいち何も新製品が無いに近いような状態で?
長谷川 ヨーヨージャムがシーンを変えて。毎月1個プラスティックヨーヨーが出るっていう、尋常じゃない状況をしてたんだけど。
それ言うと、ダンカンこそ何もしなかったじゃんになるし。ヨメガだって年に一個出てたか、出てないとか。手を変え品を変えて。パパパッてハイパーヨーヨーでバァーって出てきたんだけど。根本的に新機種っていうと、無かったかなと思って。
そういう意味では、当時の開発のスピードって今のヨーヨーの開発と比べると、ゆっくり目でも、普通だったかなぁと思います。
ターミネーターヨーヨーの性能について
東條 本当に、このヨーヨーは性能が高いですよね。
長谷川 最初の時点で、完成しちゃってたのはあるよね。テクニックは、本当に別格でやりやすかったと思う。当時の中でも。
金子 少しだけマンタレイがあって。
金子 その流れで、タイガーシャークグロウが日本に入ってきますよね?スターバーストの。
長谷川 スターバーストのね。
長谷川 そのときは、マスに乗せるとかじゃなくて。少量でっていうやり方で入ってきてるから。
東條 マンタレイの最初の組み合わせって、タイガーシャークのボディに木製アクセル?
長谷川 あー、でも最初っから、このカラーのマンタレイのイメージになっちゃうけど。どうなんだろうね。そこらへん…オフィシャルインストラクターとして失格かもしれない。記憶がない。
金子 世界大会のあれですか?
長谷川 まぁでもね、当時の発注書も全部取ってあるから。こうゆう感じにファイル毎で。ターミネーターとか。ヨメガとかダンカンで。それをちゃんと漁ると出てくると思う。
某シュトパンの人は、ヨーヨージャムの発注書を貸してあげたら、全部時系列をとってたんで。
資料はあります!足りないのは、人手です。興味がある人は是非!いつでも。ヨーヨーの歴史は、まだ紐解けるところはあります。
金子 たくさんあるぞと。こんなところじゃないぞ、と。
スピントップとディアボロの話
金子 タイガーシャークグロウをやって、そのあと当分ないけど、その横にスピントップだとか。ディアボロが始まりますよね?99年とか2000年くらいになると。
長谷川 デール・オリバーは、そのときベアリング入りのスピントップを初めて作って。やろうとして。それも、ベイブレードのブームがあったときに。
長谷川 実は、タカラトミー…当時はタカラの方か。その子会社とやりとりをして。ディップスがスピンタスティクスのコマを、ベイブレードの全国大会の会場、両国国技館で販売するっていうテスト販売をしてたり。その前の次世代ワールドホビーフェアでも、ベイブレードブースに、俺出てたね。ターミネーターオフィシャルインストラクターは、謎の歴史が。
ベイブレードのシャツも会社にあるけどね。ベイブレードになり損ねたってスピントップが、2000年頃にあったね。
金子 デールは、ディアボロも出すじゃないですか。デールはディアボロもできるんですか?
長谷川 ディアボロは、元々、スピンサイエンスでディアボロも使って説明をしてて。そのときは、フリクションの説明。摩擦の説明に使ったんだけど。まさかのフリクションがないベアリングっていうのは、実はうちからの企画提案で。デールがヨーヨーとコマにベアリング入れたら遊びとして変わったから。
当時、ベアリングの営業の人と話してて。ディアボロにもワンウェイでクラッチの効くやつがあれば、ベアリングのディアボロの仕組みとしては、それで回転がかかるから。あったら面白いですねって話しをしてて。試作をして。形になったので、それをデールに売り込んで。そのまま台湾の工場で作り出したら、金型流出したっていう。
金子 なるほど。
ぐるディアの開発者を探る
金子 誰に聞いたか覚えてないんですけど。ぐるディアって、デールが考えたんですか?
長谷川 ね、それを言ってるよね。多分そうなんじゃないかな?
ディアボロ…スピントップのストリングで、ディアボロをヨーヨーのオフストリングみたいな遊ぶやり方をデールやってて。そのディアボロもデールから習っているから。最初にやったのはデールかな。
ただ、なんとも言えないことがあります。本人にまた今度聞いてみようと思うけど。デールが色んな人達と会って、色んなところからスタイルを持ち寄って、ひとつの形を作ったのは間違いないんだけど。
最初の人っていうのはね、難しい。最初に大会で使い物になる形まで仕上げたとかっていうと、誰かってハッキリするんだけど。発明者ってなると、もしかしたら、その前にやってたかもしれないし。デールが広めたっていう意味では、間違いないと思う。
金子 ダンカンのおもちゃで、棒がないディアボロみたいなおもちゃがあるじゃないですか?
金子 あれがあるから、昔からあるものだから。デールだったらやっぱその流れでそうなったのかなっていうのがあると思うんですけど。
チームスピンタスティクスについて
長谷川 ベアリング入りはこっちから持って行って。ディップスから。それは、特許に出願だけはしてあるから、今でも特許庁のページ行ってちゃんとディアボロで検索すると出てきます。その代わり、申請だけで。最終的に形にしてないから。記録では残っているだけなんだけど。
同時期に、ヨーホーからもね、それが出てたから。ヨーホーのやつと、今残っている仕組みってちょっと違うんで。スペーサー周りのとこの押さえ方が。それのときもね、ビーシャも巻き込んで。どっちがどうなのかなとかで、ミーティングをした記憶があります。
当時はやっぱ、ハイパーディアボロもあって。ただ、終わってからの話なんだけど、ベアリングディアボロは。
当時のヨーホーを輸入してた、シーモンキーを今でもやってる某社が輸入代理店だったんで。そこ経由で色々情報を取ってもらったり。やってたね。それディアボロ回で、また。違う番組(笑)
ヨーヨーとディアボロって、根が深いんですよね。マッキーもそういう意味ではね。ディアボロ班としてね。チームスピンタスティクス。背中見せてください!
長谷川 日本のメンバー的には?チームメンバーは?ユウと?
東條 春日井和也くんと、僕の3人。
長谷川 ディアボロ的には、黎明期のオールスター。レジェンドだよね。
金子 東條君がいなかったら、僕、ディアボロ間違いなくやってなかったですからね。
長谷川 マッキーでも、ずっとね。ディアボロの前はヨーヨーやっててね。
東條 そうですね。っていうかディアボロやりながらも、ヨーヨーはやってましたね。
長谷川 ジャグフライは、そのときはもう入り浸って?
東條 ジャグフライは、そうですね。しょっちゅう行ってましたね。
長谷川 ジャグフライは原型でしょ?
東條 そうですね、今もやってますね。ジャグフライは。
長谷川 まだあるんだ。所沢のジャグリングサークルです!
ジャグフライ、すごい勉強にしてて。ヨー友を立ち上げたときに、色んな練習会を見に行くっていったときに。ヨーヨーの練習会はないから、ジャグリングのそうゆうとこに顔を出して。
どうやったらコミュニティーが上手く続くのかなっていうのを勉強しているときで。自己紹介とか、そうゆう所見に行って、参考にして。ジャグフライもすごいアットホームな感じで。主催の土田君がいい人だったので。出来た人だったので。
東條 ずっとそう言って下さって、ほんとに。
長谷川 今では、中国にいますけど。なかなか深センで会う機会がないんだけどね、まぁいいや。個人情報(笑)
JYYAの裏話
金子 ちなみに、ディアボロまで行くじゃないですか。99年とか2000年の話をしたと思うんですけど。この間に協定が結ばれて、動きが全く無いと思うんですけど。
金子 何も無かったんですか?これって。イベントやろうよとかないんですか?
長谷川 JYYAとしてってこと?JYYAは僕、初代理事らしいんですけど。
特にそういうのはなかったけど…そのあと結局、急に復活して、静岡で。それまでは、結局ヨーヨーのブームの中と、それをどう収束させるかっていう。そっちが忙しくて。なかなか組織としての活動っていうのは無かったのね。そこは、個人的にはもどかしかったけど。今思うとね。
バンダイっていう、圧倒的な大きな会社があって。そこに、おんぶで抱っこみたくポンって乗っかってた部分もあるから。なんか言う立場でもないので。
金子 なるほど、なるほど。基本的には、もう収束してたから、密会くらいしかなかったって感じですかね?まともに。集まってみんながやろう的なイベントは。
長谷川 まぁまぁ、それは結果としては。
金子 ブームのときは売れてるから、それなりに費用もあるけど。そうじゃ無いと、難しいですよね。
98年の第一回のJYYAが、予算があったときと、売れてるときと売れてないときの差でこれが無かったってことは分かったんですけど。この後、99年の世界大会のときに、スピンタスティクスが大活躍しますよね?
長谷川 そうだね。チームメンバーとしてはね。
金子 ジョエルジンクとゲイリーロンゴリアですね。これでもう、ここで明らかに株が上がりますもんね、タイガーシャークの。
マンタレイが出たっていうのと。それのおかげで、「あれ、やばいらしいよ?」みたいな感じになって。元々いいヨーヨーだよって話はしたとは思うんですけど。そこで株上がって。変わってくるとは思うんですけど。
レネゲイドの登場による勢力図の変化
長谷川 でもまぁ、レネゲイドに持っていかれたよね。
東條 それ言っていいのかな?(笑)
長谷川 言うでしょ(笑)だって、みんなレネゲイターだもん。やっぱ、ディスクスターとスターの…。
金子 それ言い出すと、日本って難しいのが。結局ハイパーヨーヨー以外が、全部ダメじゃないですか?
東條 っていうかね、ダブルハンドの文化になってたから。
金子 結構ありますよね。チェリーボム。
金子 あと、バタービー。
長谷川 あぁ、チェリーボムは、いいヨーヨーだね。あれはスティーブ・ブラウンが監修したときの。
金子 レネゲイド。
金子 で、タイガーシャークのスターバージョン。
金子 この4つは、やっぱり総数で言ったら、ステルスレイダーには勝てない。
長谷川 バタービーっていうか、GTはあんまり出回ってないよね。総数としてね。
東條 タイガーシャークもアップデートしてるでしょ?リムが入ったり。
長谷川 え?タイガーシャーク、最初からリム入りだよね?
東條 最初から入ってましたっけ?
金子 リムの重さが変わったりとか。マンタレイは軽いやつが入ってて。タイガーシャークは重いやつが入ってて。
東條 あー、そうそう。
長谷川 太さが違うのもありますね。タイガーシャークの前に、トルネードにリム入れてるプロトタイプを見せてもらってて。それは電線を切って入れてて。デール・オリバーは、最初手作りでウェイト調整してやってて。
金子 あれにも入れてますよね?スピントップにも、針金入れてましたよね。
長谷川 入ってる、入ってる。デール・オリバーは、あれを使いまわすようになってね、最終的には。コスト安くて簡単にウェイトが入るから。ワールドクラスとかも、リム入りのはずなんだよね。
長谷川 あれは削りだしだったかもしれない。
金子 Cの板のリングが。
そこでも、99年でも大活躍して。2000年のユウ君も、タイガーシャークで優勝するっていう。
東條 世界大会ね。
長谷川 そこらへんは、ユウに確認したほうがいいね。多分、ディスクじゃなくてスターを使っていると思うんだけど。それか、ディスクに自分でターボディスク的なのを貼っているか。
金子 あれはね、TOMMY君が。僕がすごいメンテしたって言っているんで。それを今度持って来いって話をしているので。もしくは、彼に作ってもらおうと思っているので。そこの回でやりたいと思います。だから、この2年間でタイガーシャークっていうのは、連続で取ってるってるわけですよね。世界を。
長谷川 そうだね。ハイパーヨーヨーの波に乗ってヨメガがバーンっと。ヨメガじゃなきゃ、ヨーヨーじゃないみたいな中で。
競技シーンってなると、ターミネーターっていうか、スピンタスティクスっていうのが。そういうところだよね。急に伸びてきたのがあるよね。
まぁ1つに、デール・オリバーとその周りに人が集まってきたってのはあると思うんだけど。ヨメガはどちらかというと、ブランドとしては強いけど、寄せ集めじゃないけど。
金子 次回は、2000年のハイパーヨーヨーブームが終わって以降の、スピンタスティクスの活動をやっていきたいと思います!
長谷川 はい、わかりました。デイブ・バザン以降で。